私と言葉と、音楽のこと。

「音楽好きだよね」
友達に言われて、え、そうなの? と、ちょっと驚いた。
それから色々なことを思い出してーー好きな曲とか、今まで行ったライブのこととか、その時に感じたことーーうなずいた。
「うん、そうかも」
私、音楽好きなのかもしれない。

*

音楽ライターまでやらせてもらうようになったにも関わらず、私は今年になるまで自分が音楽好きだと思ったことがなかった。
たぶん、自分よりも音楽に詳しくて、年中ライブに行ってるような友達がいたからだ。彼女ほどではなくとも、音楽が好きな友達が周りには多くて、だからその中で自分は「普通」だと思っていた。

とはいえ、音楽を聴くのはずっと好きだった。好きなアーティストならチャンスがあればライブのチケットを取ったし、フェスにもよく行った。ステージ前でもみくちゃになりながら、まったく知らない数千、数万の人たちと一緒に歌ったり、跳ねたり、腕を上げたりする時間は、他には替えがたい体験だった。

ライブに行くと私は割と簡単に感極まって、割と簡単に泣く。極まった感がおさまらない場合はその気持ちをライブレポートにしたりもしていた(その時書いたものが今の仕事に繋がっていたりする)。

だけど本当のところ、それは100%ポジティブな感情じゃなかった。そこにはいつも必ず、5%くらいの暗いものが染みついていた。
そのしみの名前は、「嫉妬」という。
私はずっと、音楽というものに嫉妬している。猛烈に。

*

小学校低学年だったと思うけれど、覚えている限り最初に持った明確な将来の夢は「小説家」だった。
昔から、何かを見たり、聴いたり、経験して心を動かされた時、その感情は単語や文章など、言葉の形をして頭の中に浮かんだ。なんでと聞かれても説明はできないけど、そういう感じだったから、「言葉で表現する」ということは私にとって自然なことだった。

「将来の夢」は少しずつ形を変えながら、でも「文章を書く」というベースが変わることはなく、成長するにつれ、多くの人が通る厨二病小説、mixiでポエム風日記、二次創作、ブログ、フリーペーパーと、とにかく手を替え品を替え何かしらの形で文章を書き続けながら生きてきた。

物心ついた時には、一番しっくりくる手段として言葉が手元にあった。自分で言葉を選び取ったという意識もない。かっこつけた言い方をさせてもらうと、私は自分のことを「言葉の国」の人間だと思っている。

だけど。
広いライブ会場。まばゆいステージに照らされて歌う人。数千、数万の人たちが同じ時、同じ場所で、同じ音を聴いて、心を揺さぶられる。音楽が人々に声を上げさせ、腕を振らせ、涙を流させる。その大きな渦の中に立ち、音楽ってすごいなあって思いながら、その裏で私は何度も5%に打ちのめされた。
言葉にはできない、と思った
言葉では音楽には勝てない、と。

ライブの時だけじゃない。
言葉が音楽に勝てない、という思いは、定期的に強い嵐となって私のもとにやってくる。
音楽に心を救われるたび、素晴らしいライブに巡り会うたび、思い知る。
言葉は、音楽には勝てない。

私は言葉の国の人間だ。私にとって言葉は骨であり血肉だ。言葉以外の選択肢はない。
だけど、言葉を使い続ける限り、私は音楽に対する劣等感と敗北感を抱き続けるだろう。それは苦しい確信だった。

こんな気持ちになるのなら、神様どうして私を音楽の国の人間として創ってくれなかったんだ。

*

2019年は文章を書く人を中心に、いろいろなジャンルのクリエイターの人と出会った年だった。その中でも特に仲良くなった人達と飲む機会があった。
ものづくりへの高い情熱をもった人たちが集まっていて、普段はこっぱずかしくて言わないような創作への想いを赤裸々に語ることのできる貴重な時間だった。
そこで私はぽろっとこぼした。
「言葉で頑張りたいと思うけど、音楽には勝てないって思うんです」
そうしたら、一人が言った。
「私はそうは思わない」
毎日毎日、ストイックに文章を書き続けている人だった。彼女はまぎれもなく「言葉の国」の人だった。その人は恥ずかしそうに、でもきっぱりと言った。
「私は言葉が最強だと思ってるから」
言葉が最強。
呆気にとられた。
そうしたら、今度は別の一人が言った。
「おもしろいですね。音楽の人はたまに『映像には敵わない』って言うんですよ。で、映像の人は『言葉には勝てない』って言ったりするんです」
それを聞いて、頭の中に言葉と音楽と映像が三つ巴になっている絵が浮かんで、笑いそうになった。その図、ちょっとおもしろい。

あれこれ話した後、解散し、帰宅した。
部屋で一人、話したことを思い返した。その夜、有意義な話をたくさんしたはずだけど、酔った頭に残ったのはその会話だった。

”私は言葉が最強だと思う”

言葉が最強、か。
すごいな。そう思って笑った。
笑ったあと涙が出た。
それまでの音楽への重苦しい気持ちがほろほろと崩れていくようだった。

私はたぶん、この先も一生音楽に嫉妬し続ける。音楽に救われ、心動かされ、涙を流し、そのたびに敗北感と劣等感にさいなまれる。
でも、私の生きる言葉の国に、「言葉が最強だ」と言い切ってくれる人がいるのなら、私は何度でも、言葉を手に負け戦に挑むことができる。

*

やっと言えるようになった。
私は音楽が好きだ。
音楽が好きで、そして狂おしいほどに妬んでいる。
私はこの先も音楽に負け続ける。でも、いつか、音楽の良さすべてを吞み込んで、それを言葉で紡いでみせよう。その日まで書き続けよう。
この言葉の国で。


special thanks いちとせしをり

#エッセイ #音楽 #言葉

ハッピーになります。