金木犀
フジファブリックのアルバムを聴きながら帰り道を歩く。イヤホンから『赤黄色の金木犀』が流れだす。折しも金木犀の季節、花の形は見えずとも甘い香りが漂って、街全体が秋に浸されているようだ。
志村正彦が死んだ2009年、私は高校生だった。ある朝友達が沈んだ顔をして教室にやってきて、志村さんが死んでしまった、と言った。別の友達がそれに応え、2人が悲壮な空気になったのを、私は突然異国に放り込まれたような気分で端から眺めていた。名前は知っていたけれど、私はそれまでフジファブリックの曲を聴いたことはなかった。
その日、家に帰ってYouTubeで初めてフジファブリックの『銀河』を聴いた。
志村正彦が死んでからフジファブリックを聴き始めた私にとって、彼の音楽はショパンだとか夏目漱石と同じ、最初から過去の存在だ。永遠に更新されることのない、完結した歴史。
けれどあの日「志村さんが死んでしまった」と言った友達にとって、それは紛れもなく喪失だった。
2009年12月24日志村正彦は死んだ。
その事実は変わらないのに、私と彼女達(そして全国のフジファブリックを愛する音楽ファン)にとってその意味ははっきりと断絶していた。
それがなんだか不思議な感覚だったのを覚えている。
僕は残りの月にする事を
決めて歩くスピードを上げた
『赤黄色の金木犀』を聴きながら、私はあとどれくらい生きられるのだろうと考える。やりたいことを、あといくつできるだろうかと。
息を吸えば肺いっぱいに甘い空気が満ちる。この季節も、きっとあっという間に終わってしまうだろう。
ハッピーになります。