ぼくにできることはまだあるか
木曜日、朝起きたら友人からLINEがきていた。
『今日そっちに行くんだけど、お昼とか少し会えたりしない? 急にごめんね』
実は彼女は、以前書いた『親子という名の呪いについて』に出てきた「彼女」だ。
親に地元に帰ってくるよう請われて、迷っていた彼女。体調を崩したりしたこともあり、結局今は会社を辞めて、地元に戻って実家で生活している。
地元で生きることを決意したわけではなくて、東京での就職を目指していて、試験などがあるたびに東京に出てきていた。今日も、翌日の試験のためにこちらに来るらしい。
『大丈夫だよ。お昼は予定があるけど夕方は時間作れるからお茶しよう』
確かに急な話だったけど、そう返事をした。
彼女の就職活動は長引いていて、精神的にも身体的にも楽な状況ではないことを知っていた。ものすごく人に気を遣うタイプで、本来はこんなふうに突然誘ってくるような人じゃない。
会ったほうがいい、と思って予定を調整して時間を作った。
新宿のスターバックスで待ち合わせした彼女は、以前の通り、きちんとした服装ときちんとした髪型でそこにいた。後から着いた私が後ろから声をかけたら、ぱっと笑った。
まるい小さなテーブルをはさんで、彼女は今の状況を教えてくれた。
東京と地元、両方で試験を受けていること。
地元では父親の顔が広く、落ちても受かっても気まずいこと。
どこに行っても顔が知られている狭いコミュニティが息苦しく、なるべく東京に戻りたいこと。
あまり遠くに行かないでほしい、とことあるごとに言ってくる母親。
どこに行くにも、誰と電話するにも詮索を受ける。
今、収入のない状況で、生活を両親に頼らざるを得ず、自分の要望は口に出しづらいこと。
明るく話す彼女の話は、苦しかった。
「頑張らなきゃ」
「自分の責任なんだから」
「お母さんの気持ちもわかる」
「お金も厳しいし」
会話の端々で出てくるそういう言葉に、なんて答えたらいいかわからなかった。
“そんなこと言ってくるのありえないでしょ。自分の人生なんだから、親の要望に従う必要ないよ。”
“気にしないで、自分のやりたいようにやっていいよ。”
それこそ、『親子という名の呪いについて』を書いた時だったら、私は強い口調で言っていたと思う。
でも、当時は彼女は東京にいたし、働いて、自立して生活してた。今とは状況が違う。
今こうやって、東京のやかましいスターバックスで二人で話しているのと、彼女の地元の実家で、血のつながった親と顔を合わせる時の心情も全然違う。
私がここで怒って、彼女の親をこき下ろすのは簡単だ。
自分のやりたいようにやったらいいんだよ、と言うのは簡単だ。
でも、それで終わりだ。
彼女は想像力がある。聡明な人だ。
周囲の人の気持ちをリアルに想像し、おもんぱかることができる。
だから言われるまでもなくわかっている。親の言い分も、私の考えも、そして自分自身の希望も。
そうしたらきっと笑って「そうだよね」とうなずいてくれるだろう。
うなずいて、呑み込んでしまうだろう。
私が怒ってもなんにもならない。
それどころか、私が強く言えば言うほど、「わかっているけどどうにもできない」今の彼女をさらに追い詰めるだけだ。
否定も肯定も、負担になる。
金銭的な問題だって大きい。
現状収入がなく、生活を両親に頼るしかないという状況。
お金は、現実だ。無責任なことは言えない。
金銭的に援助してもらっている、という環境は、否応なく感情に影響する。
仮に私が50万なり100万なりぽんと貸したとしても、それは負い目を増やすことにしかならない。
私がきょうだいや恋人だったならまだしも、紙の上では他人でしかない私に過度な援助はできない。
あれ。
私にできること、なんもなくない?
流行りのフレーズがさっと頭に浮かんだ。
“愛にできることはまだあるかい”
愛のことは知らないけど、私にできること、全然、ない。
色々な要因が混在していて、結果が出なくて、自己評価を上げられるポイントもなくて、そういう八方ふさがりに近い状況で誰かと会うことは、それだけで負担になる。
世の中の人が全員、自分よりマシな立場にいるように見えるそんな時には。
どれだけ仲良くたって、内心で今の自分と比べてしまう。
だからこそ、そういう状況でわざわざ私に連絡をくれたその子に、何かしてあげたかった。
でも私、なんにもできなかったよ。
結局私は、「頑張る」と繰り返す彼女に「もう頑張ってるよ」と返し続けることしかできなかった。
そうして、新宿駅の改札に消えていく彼女を見送った。
別の、クールで優しい友人たちにこの話をしたら、きっと「そんなに感情移入しちゃだめだよ」「他人の人生を背負おうとするな」と言われるだろう。
その通りだ。他人の人生に、自分の物かのごとく立ち入ってはいけない。
それはまさしく、私が彼女と彼女の親に対して言ったことだから。
だけど、今はそういう正論は聞きたくない。
今、これを書いている。
こんな文章、なんにもならないと思いながら書いている。
私が文章を書いていることすら知らない彼女に、この言葉は届かない。
こんな文章は誰も救わない。呪いも解けない。
人が誰かを救えるなんて思ってること、それ自体がおこがましい。
私一人が悦に浸り、自分の感情に酔って、他人を食い物にして、アーカイブの一つになるだけだ。
自己満足でしかない。
愛なんか知らねえよ。
私にできることはどこにあるんだよ。
ねえ。
ハッピーになります。