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第10回「プリーズ、ミュージック」/びねつラジオ

夜更かしのみなさんこんばんは、満島エリオです。

お久しぶりです(目をそらしながら)。
3月に入ってから会社でリモートワークが推奨され、ほとんど出社せずに自宅で仕事をする日々を送っていました。が、この、「人と顔を合わせず、自分ですべての時間をコントロールする」という生活を全く乗りこなすことができず、仕事はかろうじてこなしていたものの、それ以外はほとんど眠っていました。誇張なく。

ご存知の通り、コロナウイルスの影響で多くのイベントが中止、延期となりました。3月、私は4つのライブに行く予定があったのですが、それらもすべてなくなりました。延期の日程が発表されたものもありますが、それもどうなるかまだわかりません。「この日のために頑張ろう」と思える指標もなくしてしまい、伸び切ったゴムみたいにだるだると、最低限のことだけをどうにかこなしているようなありさまでした。

無為に過ごしているという感覚はあったものの、なんとなく動けない。書きたいなと思うネタはあっても、まず書き始めることができないし、書き始めても途中で止まってしまう。
何もできない。何をしても意味がない。沼のような無力感から逃げるように、ひたすら眠っていました。「忙しいですよね」と気遣ってくれる方がいますが、すみません、おそらくそう言ってくれた方の倍寝ています。

仕事と多くの睡眠の隙間で、漫画と、小説と、アニメをひたすら見ていました。漫画を最新刊まで読んでしまったら次の作品へ。それが終わったらアニメを見て。途切れてしまったら途端に現実がなだれ込んできてしまうから、隙間を作らないように絶え間なく物語を摂取し続けました。布団の中でスマホを握りしめて漫画を読みふけりながら、自分はエンターテインメントに生かされてきたんだなと、改めて実感しました。

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なくなってしまった一つのライブで、中止の発表に際し、アーティストがこう言っていました。エンターテインメントは、健康と安全が保証されたものであるべきだと思っていると。だから、観客が感染や健康面の不安を抱えながら参加するようなライブを敢行することはできないと。

その通りです。間違いないです。
でもやるせなかった。だって、苦しい時にこそ、物語や音楽などのエンターテインメントに救われてきたから。きっと今こそ楽しみが必要なのに、それがままならないこと。
ライブはできなくとも、と、無観客ライブの動画配信や、代替イベントを打ち出したアーティストがたくさんいました。おかげで、行きたいなと思っていたけれどチケットを取っていなかったライブを観ることもできました。すばらしいパフォーマンスでした。でも、そこにもどうしてもやるせなさが付きまとう。
彼らがこうして見せてくれるステージには、当然人手とお金がかかっているのに、それに見合うリターンを出すことができない。アーティストや裏方の人たちが身を削って生み出した芸術を一方的に享受している。それを純粋に心から楽しむのは難しかった。

嫌なこと、苦しいこと、悲しいことを、いっときでも魔法のように消し去ってくれるのがエンタメだと思っています。物語の海に潜っている間だけ、私が無力感から逃げられたみたいに。でも今、エンタメがやるせなさと表裏一体になってしまっている。しんどいなと思います。そういう状況も、それに対して自分が何もできないことも。

自分にできることなんか何もないなと思いつつ、でもやっぱり私はエンタメに助けられて生きてきたんだよなという思いを込めて、3月まとめとして曲を選びました。テーマは「音楽に生かされた」です。

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”ロックンロールは鳴り止まないっ”/神聖かまってちゃん

シンセサイザーの軽い音が鳴らすイントロからもう、「ああ、そうだ、この曲だ」と、他では満たされない何かが胸いっぱいに広がる気がします。
≪初めて気がついたあの時の衝撃を僕に/いつまでも、いつまでもくれよ≫という詞の通り、何度聴いても、初めてこの曲を聴いた時の気持ちに引き戻されるような感覚。荒々しく、テクニックとかでなく、ただ渾身で叫ぶ「の子」というボーカルの圧倒的なパワー。
ビバラロックというフェスで、神聖かまってちゃんを見たことがあります。「ケイブステージ」というその名の通り洞穴のような狭く天井も低いステージでで、ビバラロックの中では小さい方のステージでしたが、そこいっぱいに集まった全員で「ロックンロールは鳴り止まない!」と歌った時あの場所は絶対に、一番大きいステージより熱くて、一体感があって、ロックだったと思います。
≪MD取っても イヤホン取っても/なんでだ全然鳴り止まねぇっ≫
いつまでもいつまでも鳴り止まない。鼓膜とか記憶よりも深い場所に刻まれる曲です。


”リッケンバッカー”/リーガルリリー

≪きみはおんがくを中途半端にやめた。
きみはおんがくを中途半端に食べ残す。≫

ボーカル・たかはしほのかの、どこかあどけない歌声で繰り出される尖ったフレーズ。≪おんがくも人をころす≫。その鋭さというか、切実さには、心臓を貫かれるような思いがします。曲は2番でこのように続きます。
≪きみはまいにちを中途半端にやめた。≫
音楽を志し、でもどこにもたどり着けず(比喩かもしれないけど)毎日をやめてしまった「きみ」。きっと音楽が大好きだったはずで、だからこそ毎日をやめてしまうほど追い込まれて。縋りついて、離れられなくて、がんばっても報われるとは限らなくて。そんな残酷な音楽の世界。ヒリヒリするような感覚を駆け抜けて、それでも消えてくれない希望を握りしめるように歌う。
≪リッケンバッカーも泣く/おんがく、人を生かせ≫


”だから僕は音楽を辞めた”/ヨルシカ

タイトルからしてこっちの頭をぶん殴ってくるような、ヨルシカの代表曲”だから僕は音楽をやめた”。ピアノの音と、MV、そしてsuisのボーカルが創り出す清涼感のある世界観の中で、でも歌われる内容はこの上なくエグい。
≪ねえ、将来何してるだろうね/音楽はしてないといいね≫
≪音楽とか儲からないし/歌詞とか適当でもいいよ≫
音楽を志しているわけではない私でさえ息苦しくなる。投げやりで乱暴なようでいて、音楽というものを突き詰めて突き詰めてその先を目指した人間にしか書けない詞だと思います。
”リッケンバッカー”における音楽は、才能ある人に微笑む、まばゆい神様のような形をしている気がするけれど、この曲では音楽の限界や音楽で生きることへの苦悩が刻まれていて、もっと泥臭いものとして描かれているように思う。その執念ともいえる感情には、音楽への憎しみすら感じるほど。
≪売れることこそがどうでもよかったんだ/本当だ 本当なんだ 昔はそうだった≫
血を吐くように歌われる想い。理想と現実。そのはざまへの絶望。
「僕は音楽を辞めた」というタイトルの音楽という、大いなる矛盾。音楽を呪いながら、けれどきっと永遠に音楽から離れられず、肉薄し続けるのだろう。そんな、ヨルシカを創り上げたn-bunaのすさまじさを感じます。


”グッドバイ”/サカナクション

この曲が出る前の、2013年当時。
サカナクションは売れに売れ、アルバムチャート1位や紅白出場、フェスのトリなど、華々しい栄光を一気に浴びていました。この国の音楽シーンにおける、一つの頂点をとったと言っても過言ではなかったと思います。そこまでたどり着いて、山口一郎が感じたこと。曲はこんなふうに切り出されます。
≪探してた答えはない/此処には多分ないな≫
表舞台、メジャーシーンを担い、進んでいくことへの疑問と迷い。そのうえで、そこから決別するという決断がを示すのが、この”グッドバイ”という曲でした。
≪グッドバイ 世界から知ることもできない/不確かな未来へ舵を切る≫
メジャーシーンを突き進むことを辞め、どうなるかわからない、と思いつつも新たな方向へ進んでいく。それによって失うものや得られなかった機会もきっとあるだろうけれど、それもひっくるめて、自分たちの音楽のより深くへと潜っていく。
≪グッドバイ 世界から何を歌うんだろう≫
サカナクションの、ストイックさとピュアさの真髄を感じるし、”グッドバイ”を経て、自分の道を歩みつつ、今も我々を魅了するその音楽がこの先何を見せてくれるのか。

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「音楽に生かされた」をテーマにしながら、「音楽は人を殺す」だの「音楽を辞めた」だの「グッバイ」だの、ネガティブなワードが乱発されてしまった。けれども、音楽に苦しめられ、憎み、絶望し、それでも歌い続けている彼らは、だからこそこの先何があっても音楽を続けるんだろうな。
ここに出した4組に限らず、ミュージシャンの人生と音楽の分かちがたさを強く感じます。彼らが苦しみ、それでも希望と喜びを握りしめて音楽を生み出すフィールドが、この厳しい状況に決して負けませんよう。

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ハッピーになります。