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好きな本の作者さんと雑談をした話

サクちゃん聞いて 1回目

1年前、私がNoteを始めたきっかけが桜林直子さん(サクちゃん)の本「世界は夢組と叶え組でできている」だった。

初めてこの本を読んだとき、「うわあ、この感覚めっちゃある!」と衝撃を受けた。体験している具体的な出来事は違えど、疑問を持ったりするポイントが似ていて、「あ、これ私だけじゃなかったんだ」と思った。

それからサクちゃんのTwitter をフォローして、つぶやきが流れてくるのを時折眺めていた。するとどうやら雑談企画をやっているらしい。

毎月抽選で、お金もかかる雑談。なんで?って思う人もたくさんいると思う。そういう人にはおそらく必要ない。私も存在は知っていたけれど「今は必要じゃないかな」と、何ケ月かは募集のフォームを読み飛ばしていた。
ただ2月の終盤、新生活への不安やらなんやらで少し自分のメンタルがぐらついて、だれかと話をしたい、できれば同級生とかよく知ってる人じゃなくて、フラットに自分の言葉で話せる人と話したい、というタイミングがあった。そんな時にちょうど雑談企画の募集がタイムラインに表示されて、その場でえいや!と申し込んだ。結果、当たった。この飛び込みがいい方向に向かいますようにと、最初の日時をカレンダーに書き込んだ。

1回目の当日の朝、何を話そうと考えていたけれど、そもそも雑談って準備するものでもないか、となんだかおかしくなった。手帳にあれこれ書いているうちに約束の時間になってZoomを繋いだ。画面越しに見るサクちゃんは想像していたよりもサバサバしていて、綺麗な人だった。誰かと初対面で話すときはいつも少し緊張するし、若干いい子に振舞ってしまうけれど、そういうのを先にほどいてくれる感じだった。良かった。「一応5回を通じてこれについて話したいなっていうテーマはある?」と聞かれ、なんとなく、まだ定まっていないけれど、「自分をもう少し上手に乗りこなせるようになりたい」と話した。考え方の癖や物事の見方は自分でも気がつかないうちに偏っていたり、極端になってしまっていたりする。それをすぐに整えられたら一番だけれど、どうせなら生きることにおいていいように使ってあげたい。その癖を見つけたり知ったりする作業、つまり誰かと話すことが必要で、そしてその誰かはある程度話したいことが共有しやすい人、いわゆる共通言語を持った人と話したいと思ったのだ。

雑談の流れを書き留めるのはすごく難しい。そのときの間合いや出てきた言葉、会話のテンポはどんどん変化していく。ざっと話した内容を書くと、こんな感じ。

・普段から好きなものや嫌いなもの、やりたいことややりたくないこと、得意なことや苦手なことがわかっていると、既に材料がある状態で決断できる

・目標を立てて行動している夢組を見て「羨ましいな」と思ってしまうけれど、実は長い目で見るとそんなことないよ

・人に「これやります!」と公言することはパワーにもなるけど、同時に辞め方がわからず悪いプレッシャーにもなりうる

・いろいろやりながら観察・検証していく叶え組は時間はかかるけれど、5年10年後振り向いたらうまいこと行ってた、ってなることが多い。叶え組は往々にして遅咲き。

・わからないものは「きっとこうだろう」と思い込み・妄想するんじゃなくて、一旦わからなものとして置いておくのもあり。やれるところからやっていって、切り崩していく。

・全体像の見えない部分作業では、自分は機能しない。「そもそも何をやっているのか」「何がしたいのか」「どこを目指しているのか」聞いたらあとは独壇場。方法にとらわれずいろんな方法を試せる。

・だから仕事をもらうとき、まずは全体像を尋ねる。納得できなきゃしない。

・3月は環境の変化、人間関係、将来のこと、お金の心配などいろいろ考えてぐらつくのは当たり前。しょうがない!ただ人によっては大なり小なりある。

・私は多分「正体不明なもの」「やることがない」「何やればいいかわからない」「飽き」に弱い

・自分の苦手なパターンを知っておくことは大事。そして、苦手なパターンを知っているとそれを避けたりかわしたりすることができると知っていることも大事。今、それに気づけてるのはえらい。

・構造・仕組みがわかっているとどんな場面でも悪あがきができる。ただ、この構造に気がついているひとは少ないし、構造の話に触れている本も少ない。専門家や医師の書いた本、はたまた個人的な怒りや悲しみや自慢や体験談がつづられた本はたくさんあるけれど、その中間の本ってなかなかなかったりする。でも必要なのって、その中間じゃない?計算ドリルみたいに、考え方の計算ドリルもあっていいじゃない。

・いろんなやり方・組み合わせをだいたい2~3年スパンでやってみると、これもうちょいこうした方がいいかなとか、こっちの方が合ってるなとか材料が集まってくる。事実に基づいた根拠があったうえで進め方を立てられるから、辞めたりすることにも罪悪感持たなくて済む。大丈夫。

・私が本を好きな理由の1つに、本が会話の中の共通言語になるところがあることに気がついた。初っ端から自分の話をするのは難しくても、同じ本を読んでどう感じたとか、何を考えたとか、そういう話がその人を知るきっかけになったりする。TwitterでもNoteでも、文章を書いて残すのって仲間探しみたいなところがあって、だったら書いておいた方がお得。

後半になればなるほど、言いたいことがじゃんじゃん出てきて、「そうそう!」となった。気づけば90分間あっという間に過ぎていった。

話をした後思い出したのは、私の好きなFさんの著作「20代の知見」(角川書店)の言葉だ。

これは何の救いにもならないかもしれませんが、もしやりたい仕事がない場合、それはまだ仕事になっていない可能性があります。そしてそれを仕事に仕立てなければならないのは、あなたである可能性があります。もっと卑近な例で言いましょう。インターネットに転がる、いくつもの名言らしい名言、恋愛やら、人生の説教に、あなたが全く救われない場合、あなたを救う言葉を、あなたが作らなければいけない可能性がある。

F「20代の知見」

今までも、何かモヤモヤする、何か生きづらい、何か違うことだけはわかってるのに、本を読んでもネットの記事を見てもいまいちピンとこない、そういうことが多々あった。「なんか、なんか……」と抵抗感を示すことでしか、表現できないことに虚しさと焦りを感じていた。

本当は、自分が救われる言葉だったり考えだったりを、私自身が発見しなきゃいけないのかもしれない。そしてそれをどうにかして、伝えらえられるようになりたいと思ってるのかもしれない。これは今回の雑談を通じて、初めて自分事として捉えられた大きな発見だと思う。

もう一つ、思い出したFさんの言葉がある。

なにかを面白くないと思ったら、または、何かの値段を高いと思ったら、それは「あなたが客ではない」ということです。(中略)逆に。なにかを面白いと感じ、他の人はその何かを面白くないと感じていたなら、「それはあなたのために作られたものに他ならない」と考えてよい。そして、よいものを見つけたら、よいものを見つけたと叫んだ方がよい。みんなよいものが知りたい。なにより、よいものを作った本人に、その声は必ず届く。もっとよいものをつくろうと本人は奮い立つでしょう。

F「20代の知見」


本でも漫画でも映画でも、体験したすべてのことなんでも、よいものはよいと叫んだ方がいい。自分が感銘を受けたもの、心が揺さぶられた瞬間、そういった一つ一つが積み重なって、自分がつくられていく。同じように共鳴する人が増えれば、その輪は縦にも横にも広がる。作り手側に伝われば、なおさらのこと嬉しい。

雑談ひとつでなんだか視界が明るくなった気がするし、話をする、聴いてもらうってやっぱり大事だなって思った。

カウンセリングやコーチングの話もまたどこかで書きたい。

追記)そして自分はすぐ頭の中で煮詰まってしまう傾向があるので、少し客観的な視線や補助線を引いてあげて、大丈夫だよ、と安心させながらやっていくのがいい気がするんだ。(書こうと思って途中で投稿してしまっていて恥ずかしい…見返してから気づいた)

記事を読んでいただきありがとうございます。 みなさまよい一日を。