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三十一音のお守り本

📖水上バス浅草行き/岡本真帆

人生で初めて購入した歌集がこの本だった。全部の歌を音読するくらい、好きな言葉と感情であふれていた。
そしてまた私が好きだなあと思う本屋さんやホテルの一角に置いてあることが多く、お見かけするたびににんまりしてしまう特別な本でもある。「あ、なんかこの場所や選書した人と仲良くなれる気がする」と嬉しくなるのだ。

ほんとうにあたしでいいの?ずぼらだし、傘もこんなにたくさんあるし

ていねいなくらしにすがりつくように、私は鍋に昆布を入れる

もう君が来なくたってクリニカは減ってくひとりぶんの速度で


どれも日常の一コマをたった三十一音で写真のように切り取っている。
一首一首を眺めていると、本当に過不足なくその時の温度感や心情までこちらにまっすぐ伝わってくる感覚があって心地が良い。
どれも真帆さんの頭の中では練りに練られた言葉たちだと思うのだけれど、そんなことを微塵も感じさせないような、あくまでその場で湧き出てきたような自然さも魅力的だなと思う。

真っ暗な部屋で目覚めるとき泥はそっと私のかたちに戻る

ほんとうは強くも弱くもない僕ら冬のデッキで飲むストロング

かなしいをかなしいと言い少しずつ逃がす出口を通れるうちに

読み進めていくと明るいだけではなく、どこか人間らしい弱さだったり小さな不幸について詠んでいることに気がつく。私は明るすぎる文章よりもそういったやや暗さを帯びたもののほうが自分の中にすっと入ってくることが多い。それはそういったものもちゃんと認めてあげたうえで昇華してくれているという安心感があるからなのかなと思ったり。

思い切りダブルロールを抱きしめて私の夜を私が歩く

まだ明るい時間に浸かる銭湯の光の入る高窓が好き

私的「岡本真帆さん太陽説」を唱えるとしたらこれかしらと思った歌。
上の二首は単純にトイレットペーパーを買って家に帰るだけ、明るい時間に浸かる銭湯最高!というそのまんまの詩だ。何の技巧も比喩もなく、そのまっすぐさがまぶしい、でもあたたかい、そんな太陽みたいな詩だと思う。どちらも少し視線が上向きで、こころも上向きなんだろうなとこちらも嬉しくなる。

桃のこころ炎のこころ泥のこころ 駆け抜けるものぜんぶが私

最後はなんだかすべてを包括するような印象的な歌。桃みたいにピンク色になったりこころの炎を燃やしたり、泥になったり、人生いろんなことを考えて感じてやっていくけれど、結局どれも全部私なんだよ、と元気づけてくれるみたいだ。「駆け抜けるもの」という言葉からもそのスピード感だったり今を全力で生きる姿がうかがえる。

一見無駄のように思える、なくても生きていけるもの。そういう存在が私を生かしてくれることを知っている

1ページにおさまったあとがきを読むといつも涙が出てくる。あとがきに綴られた言葉も含め、三十一音の集まりは私のお守りのような存在だ。日常の中で共感できるもの、音の響きが心地よいもの、思わず笑ってしまうもの、大丈夫だと思わせてくれるもの。時間はかかるかもしれないけれど、私もこんな風に誰にでもわかる言葉で豊かな世界を紡げたらなと思う。

記事を読んでいただきありがとうございます。 みなさまよい一日を。