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ダンサー・ASUKA先生の名言「踊りにはその人の生き様がにじみでる」

とある日のASUKA先生のレッスン。

「どんなに上手でも、ただ振り付けをなぞっている人の踊りは(私は)感動しないし」

「結局のところ踊りには、その人の生き様がにじみでてくるよ。

(だからみんな自分の表現みつけてこー!)といったような話があり、目からウロコでした。

ダンサーのASUKA先生。安室奈美恵さんのステージダンサーをやられてたり、さまざまなアーティストさんへ多彩な振り付けをされている素敵な先生です。


「上手・下手」は大事なのかどうか

話は変わって、いろいろ思ってることをつらつら。

文章でも絵でも「上手くなれないんですよね」という話の時に、私は不思議とよく思って。

で、踊りでも、描くでも、書くでも。

上手いとか下手とかじゃなくて、どこかに「その人」が出てきてて「あっ、この考え方あるのか!」とか「この優しい雰囲気いいなぁ」とか、そういうのが(自分は)好き!と決めってたらいいのじゃないかと私は思っています。

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研究や試行錯誤して「この書き方(描き方・踊り方)が、いろんな人にわかりやすいかも」といった、伝え方をわかりやすくするのは大事だと思うのですが(音楽だと、構造しっかり作ってったほうが分かりやすい気はしてます)

上手下手に関しては、たんに取り組んだ分量とか、書けた時間の問題なので、ある程度までの上手下手は、とりあえずやってればなんとかなるんじゃないかと。

何を伝えたい(メッセージ)かが、わかりやすいか。とか「これが好き!」の圧があるとか。そうったことに重きがあるのではないかと、常々思うのです。

主張の強い人は強い文章になってるし、きちんとしたい人の文章は几帳面ですし。ピリッとしてるのか、のんびりとしているのか、情熱的なのか、はたまたとんでもなく優しいのか? 読みたいときに読みたいものを読んだらOK。

頑張って、下積みや練習を積むことが大事って人や、その過程を毛頭否定するつもりはまるでないのだけど、その人はその人。自分は自分。だと思ってて。

林伸次さんの「文章を書く才能は?」というnoteを先日読みまして、結局、技術的な小手先のアレヤコレヤが結構どうでもいいなあ、という今日この頃でした。

上手く説明できないのですが、こんなことを考えてたら。珍しく長文になりました。

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