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原点に戻る日


3月25日

母校の卒業式に来賓として招いていただいた。正確に言えば私が呼ばれたのではなく、同窓会長が列席するという仕組みに、会長が行けないというのにかこつけて行きたい行きたい!と手を挙げただけなのだけど、なかなかな原点を感じる経験になった。

日本の西の端っこ、地方国立大学である長崎大学。この場所で、私は自分の考えで動くことをはじめた。たかが4年という時間で得たものは多分とてつもなく大きい。受験日、合格発表の日、入学式、卒業式…なぜか国立大学のそれらはだいたい毎年日にち縛りなので、思い返しやすい。私たちが卒業したのも、3月25日だった。今年と同じく、桜はまだだったな。雨の降りそうな曇天。翌日長崎を離れる日には、涙雨が降っていた。

変わる風景

在学した1998年から2002年の長崎の変化もすごかった。長崎公会堂で入学式をした最後くらいの世代。卒業式は新しくできた長崎ブリックホールだった。夢彩都ができ、長崎に紀伊国屋がやってきた。出島ワーフができ、港が圧倒的におしゃれになり始めた。駅前にアミュができて、タワーレコードがやってきたのも在学時だった。観光通りの人出が変わり始めて、こんな大変化が簡単にやってくるもんなのかと思った。原爆資料館が新しくなったのもこの頃じゃなかったか…。修学旅行で行ったあの場所じゃなくなっていた。原爆資料館の資料室には、原付でよく通った。ランタンフェスティバルがはじまったのも在学中だった気がする。長崎に降り立ったあの日は、熊本港から口之津までのフェリーに乗って、愛宕の山を下りたのではなかったか。

卒業したあとも、折に触れて長崎に来ている。ほぼ毎年に近いかもしれない。女神大橋ができたり。出島道路ができたり。市電にかかる陸橋が次々と消えていき。市電の値段が変わり。港回りが大きく埋め立てられて美術館とかコールセンターとかできて。出島も変わった。バイトしていた西洋館もなくなったなぁ。極めつけは西九州新幹線の開業。長崎駅が変わった。駅が変わったことより、特急白いかもめがなくなって、大好きな海辺のあの風景が、特急列車から見られなくなったこと。それが卒業してからの20年で一番の衝撃だった。

昨年秋に、なにか虫の知らせのような、行きたくはないけど行かなきゃいけないような、へんなものに駆られて半ば無理やりに長崎に行く機会をつくりだして出かけたことがあった。この時に、なにか、もう、好きな長崎はなくなってしまったのかな、もうなにか、心の糸が切れたかもしれない、と思った。長崎ってまちが好きで。大学という空間が好きだったけど。もう、かわってしまった先を見るのは辛いのかもな。好きだったまちの想い出のままに留めておけばよかったのかもしれない、と思った。同窓会にもずいぶん関わってきたけど。もういいな。お腹いっぱいだよ。よくやったよ。って。

壇上から見たもの

今回の卒業式を前に、学部長が任期満了で交代することがわかった。在学時に最若手だったあの方が!ちょっと沸き立つ。そのすぐ後に、とてもお世話になった先生の訃報も飛び込んできた。ざわつく。そのすぐ後に、会長が今年は卒業式にどうしても行けないんだという。妙に行ってみたいという気持ちがしてきて、行くいく!と手を挙げた。

全学部が集まる式典の壇上に来賓として列席する。2,000人の華やかな衣装を着た卒業生の前に座る。各学部の総代が壇上で学長から学位記を受け取っていく。それはそれは素晴らしい答辞に心震える。大学って、なんてエネルギーに溢れて場所なんだ。その集大成の場、卒業式。学びの場の、いちばん美しいところを最高な場所からまのあたりにした。

学部に戻ってからは、総代だけの時とはまたちがった、バラエティ豊かな、等身大の学部生達の学位記授与を見守って、祝辞を贈らせていただいた。22年前に同じ教室で、同じ日に、そっち側に座っていた私から、コロナ禍入学の学生のみなさんへのメッセージ。卒業生の視線、保護者の視線、臆の方に立っている先生方。自分の卒業式ってどうだったか、とかを思いだしたのではなかった。とにかく、長崎に降り立った日のこと。ここすごしていた時のわくわく感。20歳以上も離れている卒業生に、学生時代の自分を見た。


卒業式のはじまる前、ステージ袖

今だからこそ、と、私だからこそ

卒論のテーマを、ふたつの方向で悩んでいた。当時の長崎では社会問題でもあった諫早湾にするか。自分自身が興味のあった都市計画やランドスケープで、理系の友人と文理それぞれの視点から同じテーマの論文を書くチャレンジをするか。どちらも試みとしてはワクワクする内容だった。いろんな先生に相談した中で、出逢った言葉。「今の長崎で、あなたにしか書けないテーマはどっちか考えるといい。」

それ以来、迷った時には必ず、選択の軸にしている。「今」しかできないこと、且つ「私」にしかできないことかどうか。最近、忘れがちだったなということを思いだした。なんとなく、長崎というまちや、大学への想いが崩れてきていた。環境科学という分野に対しても、おろそかにしはじめていた。今回卒業式に来させてもらえたのは、原点に戻る機会だったのかもしれない。そう思ったらワクワクしてきた。ほんとに。

そして、改めて気づく。寛容に育ててもらったこと。

学部卒業式を終えて、学部長室で少し、卒業生と懇談させてもらった。そのあとは在学時からいた先生と、同窓会と学部との接点についてあれこれ雑談。雑談の内容より、在学時と変わらない会話の雰囲気に、色んな先生方と話していたその雰囲気を思いだした。学生の頃の、先生方との距離感。先輩がいなくて、遠慮のない1期生だった私たち。先生方に対しての態度酷かったなぁ。でもなぁ。とにかく、ひたすら、褒められて。信じられないくらい信じてもらって。寛容にそだってもらったこと。お腹がすいたら、教授部屋のまえをうろうろしていたら、たいてい「飯食ったか?!」と声かけてもらった。研究の話なんて、してなかった気がする。飯は食っとるか?バイトなんしよっとか?彼氏とはどうなったとか?サークルは次なんすっとか?学校にいられるギリギリの時間まで、空き部屋でなんかやってたなぁ。あれなにやってたんだっけな。本当に、信じてもらえた4年間。私が好きだった長崎は、その、寛容に育ててもらった、空気感が含まった場だったんだ。

2024年度がはじまる前に。長崎に行けてよかった。原点に戻れてよかった。これから先、3月25日は、原点に戻る日になりそうな気がする。

恩師体感記念の枝垂れ桜のある中庭。ちらほら咲いてたよ。




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