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【2月】気づいたら人にも自分にもやさしくなれてました、終了しました。




エ「会の名前長いよね、略ネームほしくない?」

ゆ「そうだねー、なんだろ、きづやさ…うーん」

エ「K(きづいたら)Y(やさしく)とか?
     でもKYって一昔前は、
     空気読めないひとって
     悪口っぽく使われてたよね」

ゆ「あー確かに。空気読めない...
 
    ん?

    空気を読まない、ほうが
    自分に優しくない!??」

という、ゆきえ氏の一言で決まりました
「気づいたら人にも自分にもやさしくなれてました」
略して  【KY】  気に入っております🤭

この日も少人数での開催です。
主催側としては人数が少ないこと
気にされたりしないか
気がかりでしたが参加者の方には
嬉しい、といった声をいただき
ありがたかったです。

そして、たしかに少人数だと
ひとつひとつにじっくり、ゆったり
時間を取り自分の内側に触れられるので
この会には合っているように感じました。

昨日の流れは、
チェックイン、気づきのレッスン、
ゆきえ氏担当自分に優しく触れるEx、
私担当ヨガ(アーサナ)で身体感覚に
意識を向けるEx、ワーク、チェックアウト。

ゲシュタルトのワークでは、
ファシリテーターが
参加者へ見立てをしたり
行動変容を求めることはしません。

なので、ファシリテーター側が
癒してあげよう、とか、
こう変わったほうがいい、と
誘導することはありません。

同じ場にいること、触れること、
関わることなど対話を通し
その場にいるひとりひとりの中で
自ずと気づきが起こっていきます。

気づくことはそれだけで癒しを含みます。
この癒しは、誰かにしてもらったのではなく
経験や、感情、身体感覚など
その人が持っている資源から湧きおこるものです。

ファシリテーターは、気づいていくことを
サポートするという意味での仲介者です。

ゆきえ氏のExは
このゲシュタルトの哲学そのままだね、
というフィードバックがありました。

四肢の各部位に触れていく手のひらに、
意図を持たさず、そこにゆっくりと置くだけ、
触れられた側はその接触面に意識を向ける。、

日常の中での刺激と比較すると、繊細な刺激です。
触れる側が意図を持たないので、
触れられる側は、
相手の意図を察する必要もありません。
意図を持たずに触れる
察する必要のない関わりです。

時間をかけてゆったりと優しく触れていくことで
身体感覚を深く得て自分で自分を癒していくものでした。

私の担当したアーサナ(ヨガのポーズ)は
私自身、普段行う簡単な種のものです。
緩やかにポーズをとり、深呼吸をしながら
身体のどこに負荷がかかってるか、
左右で身体感覚の違いはあるか、
どこが伸びているか、
痛気持ちいいラインはどこかなど
声がけしつつ
意識を向けてもらいました。

誰かと一緒に行うって、面白い。
感想をシェアすることで、共感できたり、
新しい視点を知ったり、
よくわからなかったら
納得するまで聞いてみたり
それぞれの違いをダイレクトに感じられます。
そこに正誤、優劣はありません。

ひとつの思想、考え方、方向に統制されいない
様々な人間が集まってる、それが安心、
安全の場に繋がっています。

この日は内部領域の気づきの
レッスンについてのシェアで
目は二つあるけど、体の内側に意識を向けると
目は一つの感じがするという感想がありました。
確かにそんな感じする、肉体の二つの目では見ていない感じ
三つ目とか第三の目ってそういう身体感覚も
元になっているのかな、と思ったり。

今回の会場は、日当たりの良い27畳の和室です。
この日は、気候も暖かかったので
窓を開けて春の気配を感じながらの一日でした。

次回も同じ会場で、3/31(日)に開催予定です。
エクササイズもやってみたいことあるので
色々準備していきます。

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