ASMRと内向型、社会に馴染めないひと、そんな話
ダウナーなものとアッパーなもの。わたしはダウナーはものが好きですね。落ち着くやつ。リラックス。弛緩。ゆるゆる〜。最近知ったんですが、お酒ってダウナーなんですね。お酒ってストレスなく生きてる人間にはゆるふわになるけれど、日々抑圧しながら生きている人間にとってはダウナーに至るよりも先に、「理性の力が弱まる」ことが働くようです。だからいつも本当はやりたいことがやれる(やってしまう)ようになるらしいです。たばこや大麻もダウナーですね。日本では禁止されているのでもちろん吸いません。ただもう少しどうして禁止されているかについて調べる人間が増えるといいな、とは思います。本当にヤバいやつとそうじゃないやつがあることを。人間はアッパーな友達の方が多いです。一人じゃテンション上げられないので引っ張ってもらってるんだと思います。それに気づいたのはここ数年の話です。昔は自分の友達が違う人とは楽しそうにはしゃいでいるのに、自分とだとまったりしちゃうことにコンプレックスを抱いてました。相手がわたしに気遣ってるのがすごい嫌で。別に何か言われて傷付くほどうちら近い距離にいないじゃん?って思ってました。そのうち、相手によって距離を調節する術を覚えました。笑 ですが今なお一人でいるときが一番テンション高いです。「擬態する内向型」これが自分の説明に一番近いと思っています。だから、YouTubeやっててカメラ回してるときだけテンション高いタイプの人間、いるじゃないですか。すごい、わたしだ、って思って謎に恥ずかしくなります。自分が面白いって思っていることをひとりで全力でやってるときが一番テンション高いしなんなら面白いと思います。自分で言うのはずかしいですね。笑
ちょっと、最近の楽しかった話させてください。昨日この引きこもりが久しぶりに外出したんですけど。そのときブーツ履いてったんですよ、なんでこんな暑いときにブーツかって、歩いてる音が楽しいから。コッコッって感じの音がすき。めっちゃ楽しいのね、音だけでなんか無敵感あるじゃん。あれ、後ろから歩いてこられると威圧感あるし。たまにコッコッ...コッってタイミングがずれたり拍が飛ぶと不安になりません?なんか心臓みたいな、さ。不整脈だとウッってなりますよね。て、そんな話はどうでもよくて、あれ地面の材質とのブーツの相性もあるじゃないですか。硬いのと固い感じのね。わたしの個人的な相性の好みはですね、若干クッション感のあるコンクリで走るチャリに乗っている感覚がすきです。え?わかるでしょあの柔らかいけどスーッってすすめて「え、やばい、製氷車通ったあとのリンクじゃん」って感じの進み心地。あ、ごめんなさいブーツ?ブーツはですね、安めのプラスチックに木の模様がプリントされたヒール系のやつと普通のコンクリ、案外良いですよ。音フェチというよりわたしは感覚がすきなんだけどね。身体に響く感じ。ええわあ。
そういや音フェチで思い出した、いま流行のASMR。あれってさ、人によってすきな音きらいな音の差がかなりあるな、って思ったんですよ。何がそうさせてるのかなって考えてて。たぶんね?「今までの人生の中で抑圧してきた感情の種類」によって快感が変わるんじゃないか、と思ったわけです。しがない一般人の仮説なので、「ふーん」程度に聞き流してください。わたしがすきなのはドコドコドコドコドコっていう低音タッピング。お腹にくる系の。苦手なものはそういや認識してないから覚えてないですわ。あ、胸にくるちょっと高めのカカカカみたいなやつは苦手かも。肺らへんかな?嫌なものも「それを感じたくない」としてるような気がするし。でも、とりあえず、単音なものはそんな気がする。臓器がそれぞれ抱えている感情はそういう本を読んで自分が当てはまったからわたしは信じてる。同じ症状や病気を持っている人には似た傾向があるって趣旨の本ね。例えばヒザを痛めることはプライドやエゴの現れ、みたいな。そう思わない人はlets agree to disagreeでお願いします。笑 逆にもし、同じ考えを持っている人がいたら、是非ともお話ししましょう。ま、最終的には個々で違うよ、だけど傾向はあるんやろうな、という。あと数種類のパターンの周期が違う音をミックスさせたもの。音楽でいうならリズムパターンの違うものを同時に再生する感覚。三連符と全音符、たまに謎のメロディーが一緒に鳴ってるみたいな。プラスチックのカシャカシャした音とボタンのカチカチとたまにザワッって音と、みたいなことです。こう、不調和な感じがすき。意外性というか。独自のリズムを永遠に刻んでるって生物みたい。めちゃ長生きする(ように人間からは見える)鼓動の遅いゾウと動き回ってすぐ寿命が終わる(ように人間からは見える)鼓動の速いアリ、みたいな。...あ、今適当にそれっぽいこと言いました。わたしの話してることはすべて適当なので、すみません。(責任放棄)
相変わらず御託を並べていますが、総括としましては。
人間、何らかの思想(会社の方針・学校・資本主義・パートナー・親・宗教etc.)を盲目的に信じ込んでいると、それを達成しなければならない、達成したら幸せになれる、と麻痺してさらに「強い快感(主に勝ちという称号)」を求めるようになる。そのためならなんだってする。エナドリや酒飲みまくったりしながらね。マウスの実験ではそれで死んでますし、残念なことに人間でも過労死というものがあったり。わたしはそこで、まずは日常の小さな身体の刺激に気づくことから、というのを推奨している。社会的には若干死ぬかもしれませんが、健康面は上がるんじゃないかなあと思います。社会的に死にたくないとがんばるとそのうち身体か精神が死ぬので、周り道しても辿り着く場所は同じかな、と考えてます。死んでから復活するよりも、死ぬ前に回復魔法使ったほうがいいよ。楽チン。どこまでどうするかについては、その人の中の「恐怖」の優先順位がこれらを決めると思ってますが。どうですかね。
そんなことをつぶやいているアカウントです。(うそつけ)
今の時代に生まれてよかった、まじ感謝。伊能忠敬さま。こんなに美しい地上絵(?)見れないよ。
お時間頂戴しましたありがとう!
まったねん!
どうも〜