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#3 みんなで分けないと腐る

 台北に着いて6日目。あっという間。昨日からおばが来ている。病院の検査の予約があるからとさっき家を出ていった。超音波の検査だけだというので、私と母は付き添いしないことになった。6日は台中からいとこが来る。普段リモートだけど、台北の会社に出勤する日はうちに泊まる。6日はまた別のおばが、マンションのエレベーターの修繕が入って上り下りが大変になるというのでしばらくうちに泊まる。台湾にいると大体こんな感じだ。私が小さい頃もそうだったし、20代の頃戻ってきた時もそう。母と二人の時間というのは意外と少ないもので、たぶんそれはいいことでもある。

 6日に来るおばから「山肉持ってくからね」と母のLINEに連絡があった。おばの嫁ぎ先の環山の誰かが獲った、キョンか、ムササビか。昨日母が炒めてくれたキョンの子どもも環山の誰かが獲った肉だ。子どもの肉はやわらかくて美味しい。私の手のひらに収まるサイズの小さな肋骨とその周りの肉をきれいにしゃぶって、背骨の中の白くてとろっとした脊髄を箸で押し出したり、一関節一関節折って中身をちゅーちゅー吸ったりしている私を見て、
 「久しぶりに食べるとおいしいよね」
とおばが言った。何年か前まで、おばもこうやってチューチュー最後の最後までキョンをしゃぶり尽くしていたけど、そう言われてみれば今は食べやすそうな部分しか食べていない。「我牙齒不好」と言ってたからそれもあるのかな。普通にしてると普通に見えるし、おばは永遠にかわいい人なので今も当然永遠にかわいいそのものだけど、骨粗相症で歯ももろくなって、ついこの間歯の治療が終わるまで、おばは全くものを噛むことができなかったらしい。私は今のところ歯も大丈夫だし、台湾にはたまにしか帰ってないから、山肉はいつも久しぶりでいつもおいしい。日本に戻ったらこれは食べれないぞ、と思うと欲も出て、できるかぎりを尽くして最後の最後まで食べる。

 ちょっと前まで、食事の時間、お皿をほとんど空っぽにしたあとで、私たちはみんなでテーブルを囲んでそれぞれ手元にある骨とその周りの肉をしゃぶっていた。頭蓋骨、首の骨、肋骨、腕、手、脚。時間をかけてあれこれしゃぶりながらみんなでおしゃべりしていた。おばあちゃん、おばあちゃんの姉妹たち、母のいとこたち、おばあちゃんのイナたち。
 「冷蔵庫に山肉あっても、誰か来ないと作ろうって気持ちにならないんだよね」
と、昨日母がキョンを切りながら言った。ママも、いつも自慢にしていた歯が数年前に欠けてしまって、「あれはあの歯医者が悪い」と近所の歯医者の文句を言いながら、年取るとね、それまでできてたことがひとつひとつ出来なくなってきて、年取るってこういうことかって思ったよ、とびっくりしたような顔で笑う。おばと母とテーブルを囲んで山肉を食べ、「給 Eri 啃啊」と骨のついた部分がどんどん私に残されて、母とおばは私が骨をしゃぶるのを見ながらお茶を飲んでおしゃべりしている。

 ちょっと前まで、山肉はうちの誰かが獲ってきて必ず分けてくれるので、うちの冷蔵庫にいつもたくさんあった。私がまだ20代の学生だった頃、卒論を書くにあたって探してきた台湾原住民族についての本に「山で狩猟をした時に獲れた肉は、みんなで分けるというのがタイヤル族の伝統的なしきたりである」と書いてあって、おお、シェアの精神=先住民の知恵がタイヤルの文化にも見てとれるでは!、とうっかり感動してしまったけど、うちではいたって普通にそうしていたので、わざわざそういう言葉にして家族の中で伝えあったりしたことがないだけだった。とはいえせっかく感動したので、冷蔵庫の中の赤白の縦ストライプのビニール袋に入ったいろんな動物の肉を確認し、
 「ねえねえ、山で獲れた肉をみんなで分享するのって、タイヤルの昔からの gaga らしいよ。我們家真的有這樣啊。山肉あったらいっつもみんなで分けてるもんね」
と、私が大事なことを伝えるような気分で母たちに話しに行くと、母だったか、おばの誰かだったか、
「不分享會臭掉啊」
と、特に何の感慨もなく私に言った。みんなで分けないと腐るよ。

 おじいちゃんがまだ生きてて元気だった頃はおじいちゃん、1番目のおじが脳梗塞で倒れるまでは1番目のおじ、そのおじが一緒に狩りに連れて行く息子たち、つまり私のいとこ2人、2番目のおじが交通事故で死ぬまでは2番目のおじ、と、うちには5人も山肉を獲ってきてくれる人がいた。みんなが犬を連れて狩りに行く山の中から遥か彼方、この台北にある母のマンションの冷蔵庫にも、ジビエ、というか、さばかれた動物の死体がパンパンに詰まっていて、冷蔵庫のドアを開けると「ピョン」と爪のついた動物の足が飛び出してきたりした。

愛之助

 昨日、キョンの乗ったお皿に最後まで残ったのは、足だった。
 「爪長いね」
と、母がまるで愛之助の爪を切る時みたいにキョンのつま先の指と指の間を広げて、「キョンは爪切らないもんねえ」と自分でツッコミを入れて笑う。
 「おじさんが動けなくなって、アションとアディはもう狩りには行かないの?」
と私が言うと、
 「他們兩個好高興你知道嗎」
とおばが答える。二人ともうれしくて仕方がないよ。狩りに行く山は私たちが知ってるような山と全然違うんだよ。おじさんが倒れて、狩りなんてもうあんな大変な思いしなくて済んで、二人とも心底ほっとしてるんだから。
 そう聞いて私は残念だった。でもそれってもしかして私が台湾に帰ってきたらまだこうやってキョンを食べたいからだけなのかしらと、気が付いて、ギクッとしたまま、そのことは言わずに骨をしゃぶった。


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