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星の揺籃(短編小説)

 透き通った硝子玉に、明と暗の二種類の奥行きを付加したような。
 綺羅星を小宇宙のごとく詰め込んだような。
 採掘される前の水晶が持つ内向きの光輝を包み込んだような。

 そういう、美しい眼をした人だった。流れるように動き、光を捉えるたびに揺らぐ。黒々としたその瞳の中には自分が写っているだろうか。少年は、その女性の眼の動きを追った。
 女性の身体も、少年と同じように防護服で覆われている。外界に開けているのは、眼と眉間の辺りだけである。足は動かす必要がなく、腕は防護服内でのみ動かせればそれで事足りる。そのため、人々の身に纏う防護服には、腕を通す袖も、足を入れて動かす部分もない。
 彼らの『服』は、個人個人が入り操作する、一種の移動手段であった。そしてそれはそのまま、生活手段、生存手段につながっている。大昔に人間が着用していたという、ぴらぴらした布製の『服』とは異なっている。最早そのような全時代的な『服』は通用しない。裸体を他者や寒暑から守るためだけの『服』では、もう生きていけないのだ。
 硬質な材料で出来た、達磨のような形状をした防護服の『窓』から覗く女性の眼に、少年はひきつけられたのだった。無論、彼女の身体は彼には見えない。
 前時代の人間からしてみれば、眼だけで性別を区別することなど不可能に思えるかもしれないが、今の時代の人々にとっては当然のことだ。防護服を身に着けなくては外出できないようになってから、すでに三世紀は過ぎている。その中で知り合いを見つけ、パートナーを探し、わが子を引き連れなければいけないのだから、自然の結果としてそうなったのだ。
 少年は女性の近くへ『服』を操作し移動させようとしたが、彼女の姿はすぐに、人ごみの中へ消えてしまった。少年は、防護服の内側で必死に目を凝らした。退化してしまった貧弱な足が、ふるふると震えた。彼はまた、女性のはっきりとした目元と、白と黒のコントラストを思い返した。そしてそれが自分の方を向いた一瞬間を繰り返し繰り返し想像し、その美しさに打ち震え、かつそれが自分の想像に過ぎないことに落胆した。憂さと喜びが交互に彼を支配した。
 がしかし、もう彼には、彼女と出会うチャンスはない。

 真っ赤に燃える太陽の熱に、人々は乱舞した。
 実際には、爆ぜる大地のうねりに翻弄され、揺り籠から放り出された赤ん坊のように為すすべなく、放り上げられたというだけだった。
 少年は、防護服の中のあちこちに身体を打ち、頭を打ち、全身にあざの素を作った。うすれた、真っ赤な意識の中で、少年は彼女の眼を思い出す。恐らく彼女も、自分と同じように、まどろんでいることだろう。
 だが、女の眼は赤く黒く濁ったりなど、しないように、少年には思われた。
 涼やかに、いつまでも、星の輝きをたたえたままで、自分を探しているように思われた。

 絶え間ない流れが終に絶えようというとき、少年は生まれて初めて、人間の身体を見たいと願った。


《人類が自らの足で大地を踏みしめ、自らの手で相手に触れる、ということが不可能になった遠い未来、その細々とした営みさえ失われる最後の日に、誰かに恋した少年の話です。10年前の作品ですが、今のご時世、いやに現実味を帯びてしまったような気がします。今書き直すなら、もう少し明るい結末にしたいなと思ってしまいます。》

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