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夜を貴方と ハッピーエンドをいくらでも(ショートショート)(天使と悪魔シリーズ20話)

【天使のことが大好きすぎる悪魔と、彼に惹かれていく天使の、見た目BL小説群の20話目です。(これまでの話はマガジンをご参照ください)】

「今晩来ないか」という電話を受けて、私は初めて、彼のマンションへ足を運んだ。私の住むアパートよりも遥かに高層で、エントランスからして立派だ。全体的に黒を基調とした上品な調度品が、大理石風の床と壁面に調和している。
 玄関を開けてもらって、教わった階へ向かう。かなり上層だが、静かなエレベーターはすぐに目的の階へ辿り着いた。探すまでもなく、フロアにひとつだけの扉が音もなく開き、黒髪の男が顔を出した。
「よく来てくれた、エンジェル」
「お誘いありがとう、ラブ」
 男は一瞬だけ動きを停止したがすぐに微笑み、私を招き入れた。
「その呼び方にもようやく慣れてはきたんだがな……、やっぱり急に呼ばれると、対処するのにラグがな」
 室内の廊下を歩きながら、男の弁解を聞く。以前聞いたところによると、どうやら悪魔は、幸福すぎると頭が痺れたようになってうまく働かなくなるらしい。困った性質だな、と言う私に、男は苦笑いしながら「俺だけかもな」と返したものだ。
 ダイニングは広々としていて、家具はとても少ない。左手の壁に備え付けられている棚にも、何も飾られてはいない。黒い壁、黒い床。黒いテーブルに黒い椅子。その奥に、窓の方に向けて、黒い革張りのソファが置いてある。
「悪魔は高いところが好きなのか?」
 全体的に暗い中、まだ働いている人間たちの灯す灯りが点々と見える、窓の外を見下ろして尋ねる。隣に立った男は「いいや」と首を振る。
「人間は、地位が高いほど物理的にも高い所に行きたがるからな。人間の中に混じるなら、自分はそういう位置にいるんだと、アピール出来る方が好都合なんだ」
「ふうん。悪魔は悪魔で大変だな」
「金なんざ払ってないから、何も大変なことはないぜ。その意味では天使サマの方が大変なんじゃないか」
 たしかに、天使は悪魔のように金銭的対価を度外視して行動する訳にはいかない。人間に徳を説くのに、自分が例外に立つことは出来ない。
「とすると、そういう点では私たち天使の方が、悪魔よりも人間に近いと言えるのかもな」
「なるほど、そういう考え方もあるか」
 悪魔は頷いて、椅子を引いてくれた。座ると、ダイニングに面したキッチンの向こう側から、ガラスのポットとカップが、浮かんで運ばれてきた。よく見ると、透明になってはいるが、小さなコウモリが数羽、背中に乗せて飛んでいるのだった。
「へえ、お前は使い魔を使役できるのか」
 自分より下位の悪魔を使役するのは、ある程度の力と位がなければ難しい筈だ。私がしげしげと眺めると、コウモリは慌てたように机に物を置いて、パタパタとどこかへ消えてしまった。
「シャイなんだ。あまり見つめてやらないでくれ」
「ふふ、可愛いな。他にはどんなのがいるんだ?」
 そうだな、と悪魔は宙に目をやって考える。
「ネズミにカラスにミミズに、ゲジにウジなんてのもいたな。人型のもいくつか……。他にもいる筈だが、あまり気にしてないから忘れちまった」
「たくさんいるんだな。さっきのコウモリには、お茶をありがとうと伝えておいてくれ」
「天使サマにお礼を言われるなんて、あいつ消滅しちまうかもな」
 面白そうに笑いながら、今度は悪魔が手ずから料理を運んできた。
「まずは前菜をどうぞ、天使サマ」
「お前が作ってくれたのか」
 以前、料理など滅多にしないと言っていたのに。
「ああ。わざわざ自分からやらないってだけだからな。天使サマが来るのに、出来合いのものというわけにゃいかないさ」
 私は思わず、その端正な顔を見つめてしまった。
「お前は本当に、何をしても完璧なんだな。凄いよ」
 男は視線をさ迷わせ、ぶっきらぼうに言う。
「そういう風に出来てるってだけだ。そんな、褒められるようなことじゃない。俺のことは良いから、食べてくれ」
「ああ、いただきます……わあ、このソースはレタスに合うな。このトマトも甘くて美味しい……」
 私がいちいち感嘆しながら食べるのを男は楽しそうに見つめながら、次々と料理を運んでくれた。スープもパエリアもステーキも、どれも一流レストランに引けをとらない、素晴らしい出来だった。
「これを全部、お前が?」
「ああ。お気に召したようで良かった」
 そう言う悪魔はと言えば、ほとんど口にしていない様子だ。料理よりも、むしろワインばかり口にしているような。
「お前は食べないのか? こんなに美味しいのに」
「自分の料理の味は分かってるさ。それより、俺はお前が幸せそうに食べているのを見ていたいんだ」
「そうなのか……悪魔の癖に、欲がないんだな」
 私の言葉に、男は目を丸くした。
「天使サマに、そんなことを言われる日が来るとはな。俺はかなり欲深いぜ」
 男は全ての皿を片付け、私をソファへ誘った。この国ではそれほど美しい夜景は見られはしないが、隣に愛する悪魔が座っているだけで満足だ。
「そう言えば、デザートはないのか? いや、食べたいという訳じゃないんだが……あ、でもお前の作ったデザートは食べたいんだ、けれども……」
 私が慌てるのを男は相変わらず楽しそうに見つめていたが、不意に私の髪を撫でた。
「デザートに関して、今日はお前を誘惑しようと思ってな」
「誘惑……?」
 甘い吐息が顔にかかるほど近く、胸が高鳴る。
 男はにっと笑い、ぱちんと指を鳴らした。ソファの前に大きなスクリーンが降りてきて、先ほどのコウモリ達が何やら色々と背に運んで来た。
「コーラ……? と、それは……」
「ポップコーン」
 悪魔は、私の手にそれらを持たせた。
「お前のことだから、こんなものを夜に食べながら映画を見たことなんてないだろ。人間の娯楽を知るのも、良い勉強だ。もう堕天の心配もないし、心置きなく楽しもうぜ」
 楽しげなその表情に、私も思わず笑みが溢れる。
「何かと思えば。ふふ、素晴らしい誘惑だな。うん、私はこういうものを食べるのは初めてだよ。それに、映画をこうして誰かと見るのも」
 思えば、誰かと夜を過ごすのも初めてかもしれない。眠る必要がない私たちは、夜も主への祈りを捧げたり、人間をどのように導くか考えたり、ときには人の夢の中に入り込んで良き啓示を与えたりといった、仕事を行うものだからだ。
 けれど、これからは。
「それで、肝心の映画は何を?」
「お前の観たいものなら何でも。なんなら、現在入手不可能なフィルムでもイケるぜ」
「流石だな! それじゃあ、誰も不幸にならない作品の中から、お前のお勧めを」
 悪魔は「それなら……」と少し考え込む。その間に、ポップコーンという代物を初めて口に放り込んでみる。キャラメルがかかった薄い塩味の菓子は、口の中で弾むようだ。
「ん……これは罪な味だ」
「だろう。いくら食べても大丈夫だぜ、そこら辺の映画館から運ばせてるからな」
 ニヤリと笑う悪魔を見つめながら、その映画館にはあとで何か奇跡を起こしてやらなくてはいけないな、と思う。
「朝まで何本観られるかな」
「さあ。でも俺たちには、この世にある面白い映画を全て観終えるだけの時間はあるだろ」
 たしかに、その通りだ。私たちは、これからいくつもの夜を共に過ごせるのだから。思わず、口元が緩む。悪魔の冷たい体に寄り添って、スクリーンに目をやる。
 誰も不幸にならない映画が、静かに始まった。

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