サンドラ・サンチェス
明日でオリンピック終わりなのか・・・
日本人選手たちが活躍してたのをもっと見たかった・・・
日本は、今日までで金メダル27個か。すごい。
こちらでは、主にスペイン人の選手が出場している種目の放送が多いし、 私が観たい種目は時差で時間が合わなかった。
本当のことを言うと、朝早くの放送だったので眠くて、起きれなかった・・・情けない・・・
でも、今日は日本対アメリカの野球を見ながら、大騒ぎ。 (注 ビールと枝豆、または他のおつまみなしのしらふの状態で。お酒は禁酒。これからもずっと・・・)
金メダルの対戦だったとは知らなかったけど、そうだよね。明日でオリンピックが終わるのだものね。
スペイン人が出場している種目で、空手を見忘れていた。
スペイン人のサンドラ・サンチェスさんが金メダルを獲得した。
清水希容さんという、すごい日本人を倒したんだね。
サンドラさんがここまでたどり着いたのには、苦労の物語がある。
彼女は4歳のある日、お兄さんの通っていた空手のクラスに同行して、空手にひとめぼれしてしまったんだって。
お父さんとしては、娘にダンスをさせようとしたけれど、彼女は空手がやりたいと泣きわめいて、空手を始めた。
家族も彼女が小さいから、すぐにあきるだろうと思っていたけど、そうではなかった。
20歳になって、マドリ-ドのハイパフォーマンスセンターというトップレベルのアスリートに最高のトレーニング環境を提供するスポ-ツ施設に行って、新しい生活が始まった。
でも、1ヵ月後にお母さんがガンを患っているということがわかり、母の元へ戻ったんだ。
彼女の心がそのような大きな決断をした。
かつてダンスを拒んで、兄と一緒に畳の上で夢中で空手をしていたのと同じ心だった。
自分の夢は保留になった。
周りには、このまま戻って来れないだろうとか、
絶好のチャンスを逃してしまうとも言われた。
そして、
母親がガンを克服して、彼女がハイパフォーマンスセンターに復帰を希望した時、彼女はもう最高レベルの競技に参加できる年齢ではないと言われたのだそうだ。
普通なら、このようなことを言われたら、あきらめてしまう。
しかし、彼女は奨学金を獲得して、一年オーストラリアに渡り、空手教室を開いてお金を稼ぎながら、英語を学んだ。
試合に出るということはなかったのだけど、トレーニングは続けていた。
その後、ドバイオープンに出場して、ドバイの子供達に空手を教えるようにお金をたくさんオファーされたこともあったのだそうだ。
スペインに戻ってから、空手家としてのキャリアを再開することを勧められ、体力を戻すのに厳しいトレーニングを行い、コーチだけでなくパートナーとなるヘスス・デル・モラルさんと知り合った。
トップの大会に出場しても、代表にはなれず、いつもギリギリのところで終わってしまっていたが、本格的に代表チームに入り、栄光を手にしたのは30代になってからだった。
この10年間で、世界選手権、プレミアリーグ、欧州選手権、欧州大会、スペイン選手権などで50個の金メダルを含む80個のメダルで、表彰台に上がった。
ダンスをしたくないと言っていたあの子も、もう歴史の出来事。
40歳になった彼女は、今、栄光を味わっている。
まず、
年齢など関係ない。
今、思い出した言葉がある。
「神様はあなたが克服出来ないような問題は与えない。出来るから与えるんだ。」
と自己啓発で以前聞いたことがある。
周りからは、もう彼女の夢が実現しないかのように思えたかもしれないけど、彼女が素直に自分の心に従って、行動をとったことは正しかった。
すべて完璧だったんだ。
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