エッセイ『ラーメン』

「まさか」と言われることが多いが、私はなかなかの人見知りだ。
昔よりもずっとましだし、もともと人見知りのくせに前に出たがりのところがあるから、わかりにくい。占い師に「そのドMやめないと幸せになれないよ」と言われたことがあるけど、たぶんそうなんだと思う。
人見知りのくせに、前に出る緊張感がたまらん、みたいな。

中高はテニス部のキャプテンをしてたし、委員とかも積極的。バイトでもめっちゃ張り切るし、新卒で勤めた広告代理店では営業。料理講師をしたり、教室したり。今も外に出てコミュニケーション取って進める仕事が多いし、たぶん得意な方だと思う。
声も何キロ先の人に話してるねん!てくらいの大音量。犬笛よりも通る。
カラオケでは盛り上げなくてはと使命感に駆られ、一番にポップでパンクなナンバーを披露する。
けど、人見知り。はじめて会った人とも話すし、冗談も絶好調にぶっ飛ばせる。大勢の前で話すのも問題ない。けど、人見知り。
あれ?勘違いかな?
でも人見知りの自覚めっちゃある。
「明るいですね」とよく言われるけど、行動が元気なだけで思考はものすごく人見知り。

息子は全く人見知りではない。「人懐っこいですね」とよく言われる。幼稚園くらいまでは引っ込み思案だったし、人だけじゃなくて場所見知りも激しく、「ママがいいの!ママじゃなきゃだめ!」と言ってたのに(私の美化された思い出かも)、今は子供同士でなくても、大人にもすっとその懐に入り込んでいけるのは尊敬している。

私ってただ敏感なだけなんかな。というか自意識過剰というか。
子供の頃、運動会とか学芸会とか意識し過ぎて意識し過ぎて、しまいにはヘラヘラしてしまう、ということがほとんどだった。
幼稚園の先生には「練習では上手だったんですよ」と母に報告され、運動会を見に来た母にはあまりの私のヘラつきように耐えきれず「誰も見てません!!!!!」と怒られた。
母親が我が子の運動会に来て見てないっていうんだから、隣のおじさんやおばさんが見てるはずがない。本当に誰も見てなかったんだろう。
煩悩と欲の塊。私のような人間こそ出家して、徳を積むべきだ。
自意識と妄想。あれこれ考えすぎて、今日もまたこんな文章を書いている。

「えりちゃんて本当に人のこと好きになったことあるん?」とか言ってくる人がいて、ほっといてくれやと思ったけど、好きになってもこの自意識と妄想に悩まされて、ものすごく奥手だったのは確かだ。
中学生の時に好きだったヤンキーの男の子と同じ班で、給食のとき向かい合わせになって食べるのが嫌で嫌で、ある日ラーメンが出た日に(めっちゃ伸びてた)、すすったラーメンを途中ちぎって、それがスープの中に戻ると汚いと思われるんちゃうかって思い過ぎて、ずっと長い、伸びたラーメンをすすっていたら、好きだったその子から「ちぎったらええやん」と言われた。
めちゃんこ恥ずかしかった。
ヤンキーだけど給食は一緒に食べる、というのはさておき、あの日以来ラーメンがメニューに出たことはなかったけど(たぶんめっちゃ伸びるから)、その子と班が別れてほっとした。
好きなのに離れて安心するなんて、本当に人見知りというよりか、健気な15歳くらいの私。かわいいやん。

思えば、大学生くらいまでデートでは「ミルクティーにしてください」と注文してたけど、今は一日に何杯もブラックコーヒーを飲んでる。
お酒も「わたし、カシスオレンジにする」なんて答えずに、「ルービーお願いします!」って手を上げて店員さんに自分でたのめる大人になった。
ラーメン食べに行ったら、ズルズル音立てて、うまいうまいと言ってあっという間に平らげ、「ごちそうさまで〜す!また来ま〜す!」と店を出る。

どうやら私はすでに人見知りを克服してるのかもしれない。

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