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聞くか。読むか。


この前、友人とこのnoteの話をしていた。

その時、友人はPodcastで色んな人の話を聞くのが好きなのだと言っていた。
「だって、聞く方が圧倒的に楽でしょ!」と、豪語していた。
たしかに、文章を目で追って読むより、流れてくる声を聞く方が楽なのかも知れない。
だが、私は「何か面白そうな話あるけど、聞くか、読むか、どっちが良い?」と聞かれたら、読む方を選ぶと思う。
なんでかなー?と思って、私が本に関わるようになった記憶を思い出せる限り幼少期から思い出してみることにした。

保育園の時から絵本を読むのが好きだった。
とはいえ、人並みにおままごとや鬼ごっこなんかも楽しんでたし、他の子以上に絵本を読んでたつもりはなかったけれど、卒園アルバムの裏表紙に「えりこちゃんは本を読むのが好きで、いつも本を読んでいました」という園長先生からのメッセージがあったくらいなので、印象に残るくらいには読んでいたのだろう。


小学校でも、図書室で本を借りては読んでいた。「ぐりとぐら」シリーズや、「わかったさん」シリーズ(懐かしく思ってくれる人いるかな?)が大好きで、特に「わかったさん」シリーズに出てくるアップルパイやドーナツの挿絵が、なんとも美味しそうで、何回も繰り返し読んでいた。挿絵のあるページは特に。今思えば、あれは人生で初めてくらった飯テロなのではないかと思う。
「オモチャなんてなんの得にもならない。だったら本を読め」という考えの母親だったので、誕生日やクリスマスに買ってもらえるプレゼントが、ほぼ本だったというのも、本を読むようになった大きなきっかけかも知れない。
家が貧乏だったっていうのもたぶんある。子供がいつまで興味を示すか分からないような、コスパの悪いおもちゃを買うだけの余裕なんて無かったのだろう。

友達がもってたシルバニアファミリー、羨ましかったなぁ。見かねた親戚のおばちゃんがジェニーちゃん人形を買ってくれた時は、飛び上がる程嬉しくて、めちゃくちゃ大事にしたのだが、片っぽの靴を紛失したり、片っぽのイヤリングを紛失したり、艶々したブロンドのロングヘアをカットしたりして、どんどん無惨な姿になっていったのを記憶している。

さておき、小学校時代は買ってもらった本を何度も読んだり、急に父が持って帰って来た、どこから入手したのかわからないような本も喜んで読んでいた。入手経路など知る由もない。
おおかた、知り合いに譲ってもらったとか、そんなところだろう。廃品回収の中から拾ってきた、とかでは無いと信じたい。

中学生になると、一気に本を読まなくなった。友達と遊ぶ事が圧倒的に増えたせいだ。バスケなんてした事ないのに、「スラムダンク」の漫画が流行っているというだけの理由で、友達と一緒にバスケ部に入り、学校帰りに友達と遊んでから家に帰る、というのがルーティンになっていたので、家で本を読む時間など無かった。それでも、姉が読んでいた群ようこさんのエッセイを、テスト勉強の合間なんかに読んだりした記憶がある。
もちろん、漫画も色々読んだ。
姉と結託して、私のお年玉で「ドラゴンボール」を大人買いしたり、姉に頼まれて「魁!男塾」を古本屋に探し回ったり。もちろん買うのは私のお年玉だ。
5歳はなれた姉の絶対的支配下で暮らしていた当時の私は、何も疑問に思う事なく我が資金を漫画に費やしていた。
もちろん、読むのは姉が先だ。
すごいな。独裁国家、権力乱用、反乱が起きてもおかしくない。
今、私は41歳、姉は46歳だ。姉は当時のことをどう思っているのだろう?
一度、ちゃんと謝ってもらいたいものだ。


高校生になると、女子校でしかも寮生活をしていた私は、やはり本とか詩にハマった。娯楽が少なすぎて、いよいよ自分で詩やショートストーリーなどを書いていた記憶がある。内容など、ほとんど覚えていないが、どうかあのノートは、もうこの世から消え去ってますように。母の気まぐれで、当時の教科書やノートを大切に取ってあったりしませんように。
そういえば、中学生のときも自作の漫画を書いたりしていたのを思い出した。
その漫画も、詩を書いたノートも、実家の大掃除とかで、ゴキブリの次くらいに、段ボールの中から出て来てほしくない。

専門学校の時は、付き合っていた彼氏に薦められた「アルジャーノンに花束を」を授業中にひたすら読んでいた。そのうち寝落ちする事も多かったけれど。

働き出してからは、自分で小説なんかを買うようになった。絵本も好きで、よく買っていた。初めて買った本が何だったかは、もう覚えてないけど、本を選ぶときのワクワクする高揚感は今でも大好きだ。いつも、選びきれずに4〜5冊まとめて買ってしまう。時代は電子書籍なのかも知れないが、私はまだ本屋に行って印刷された本を買う。紙の本が好きだからだ。
そこに関しては、ずっとアナログでいいと思っている。
引越しのたびに、本を売ったり捨てたりして、随分たってから、「あー、あの時読んだあの本、もっかい読みたいなー」と思う事がある。そして、ぼんやりとしたストーリーは記憶にあっても、タイトルも作者も思い出せず、二度とあの本に再会できないかも、という絶望感に打ちのめされたりしている。
なので、最近は読んだ本を自分のSNSなどで記録しておく事にしている。
記憶ではなく、記録だ。
もう、自分の脳みそは信用してない。
私の脳みそのメモリーは、容量が少なすぎるのだ。例えば、人々の平均的バックアップ容量が50GB(ギガバイト)だとしたら、わたしのHDDは、多分10MB(メガバイト)くらいしかないのだと思う。
「いつの時代だよ!今やTB(テラバイト)でしょ!」と嘲笑されそうだが、仕方ない。それくらい覚えられないのだ。アップデートの仕方も分からないし、そもそもアップデートできるソフトウェア(脳みそ)なのか分からない。
なので、その他諸々の利器に頼る事にしている。

そして、思う。
やはり、これからも本は読んでいきたい。厳密に言うと、私は自分の頭の中でストーリーや人物像をイメージして、その世界観に浸るのが好きなのだ。本は最高のツールになる。まさか、そこに使うストレージが多すぎるから、メモリーが少ないのか?
まあいいや。

Podcastが好きだと言う友人は、耳で聞いてその世界観に浸っているのだろうと、勝手に思っている。どちらにせよ、そういうものに浸れるのは素敵な事だ。

今度、友人が薦めてくれたPodcastを聞いてみようと思う。
もしかしたら、思ってもなかった世界観が待っているかも知れない。

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