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着衣ストリッパーはじめました。

7月に入ってから、Instagramの毎日投稿をしている。たまに空いてるけど、このnote含め、一応毎日何かを出すのが今の目標。

で、この目標を決めた当初は、大好きな洋服を着て可愛い(失礼)私を何かしら投稿すれば良いのだと思っていた。コーデを組むのも、動画を作るのも、コーデの写真を撮影するのも苦になんない。

ところが、その毎日投稿が続いたある日、自分の投稿フィードを見て、そこはかとなく不安になってきたのである。

あれ?私、こんなことしたいんじゃなくね??

私は、確かにファッションは好きだし、人に何かを教えたりサービスをするよりも、ただ自分が可愛い服を着て楽しんでいたいのだが、
私は決してインフルエンサーになりたい訳じゃない。オシャレのノウハウを教えたい訳でもない。
インフルエンサーにかすってもない奴が何言ってんだって感じだけど、ただあの人オシャレで可愛いねって言われて人気者になりたい訳じゃないことに気付いた。

私は、人々の価値観に影響を与えたい。

ここで少し書いたけど

私は昔からストリッパーになりたかった。
なりたい、というと少し語弊があるのだけど、自分の良いところも、普通の人なら隠したい恥ずかしいところも全て出して、輝いている彼女達はサイコーにカッコいい。もしかすると誰にも共感されないかもしれないけど、私はそう思っている。

ということで、始めました。着衣ストリッパー(?)


ちょっとここで言っておくと、醜い部分を出していこう!というメッセージではない。
待って待って、ガサガサのかかととか出さなくていいから。自分の身体に関心を向ける、感謝する、ケアするのは大事なことだから。

自分の身体に目を向けて、愛して受け入れることが出来たら、その身体が世間の思う「美」とは違っても、それはあなたの美しさなのである。
その身体に意図があれば、それでいい。


尊敬するちゃんみな先輩。


私はファッションが好きだからビジュアルで発信したいけれど、
例えそれが外見の話ではなくて、病気や何かだとしても、
人と違うことには美しさがある。

人と違う部分は自分の一部であって、分離出来ない。それは自分自身だ。
自分に蓋をせずに受け入れる。
受け入れた後に、ただ自分の一部として受け入れそのままにしておくか、愛を向けられていないからケアしてみるのかを決めれば良いんじゃないのかな。

そうやって自分に目を向けて作っていくのがその人の美しさなんだと思う。

今の世の中は、人と同じだったり平均だったりするのが良いという価値観で、
「人と違う」という貧乏くじを引いてしまわないか皆心配している(ように思う。私の主観だけど。)
そうなんだ。大変ですね。でも、正直自分じゃなくて良かった。私はそうなりませんように、って。

その「誰か」が決めた不幸のロシアンルーレットに、もう私は参加したくない。

人と同じところも、違うところも、全て自分に与えられたもの。意味があって自分が持っているもの。

なんで?
それがその人の人生の美しさだから。

だから、そこに蓋をしない。

そういう価値観を提供していきたい。

We're fxxking beautiful.
(あ、これは美人の歌詞ね)

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