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カタツムリと、裸のやつ

フォローしている方たちの新着欄に、カタツムリに関する記事が2件続いて出ていた。

それで私もカタツムリについて書きたくなった。

うちの庭はカタツムリでいっぱいだ。小さいのとエスカルゴみたいな大きさのやつ。注意して歩かないと踏んでしまうので、そろりそろりと歩く。
パシャッとやってしまったときの罪悪感はひどい。カタツムリは殻の小さな欠陥は直せると読んだけれど、人間に踏まれたら修復はもう不可能だと思う。その日は寝るまで悲しい気分。寝た後はスッキリしてるんだから、薄情なものだけど。

ところで、ドイツ語でカタツムリはシュネッケという。そして「裸のシュネッケ」はナメクジ。

うちの庭でカタツムリに輪を掛けて多いのがナメクジだ。こちらもいくつか異なるのがいて、茶色いのと、薄茶に黒い斑点があるやつをよく見かける。後者は新参者と思われる。
こちらはカタツムリと違って踏んでも問題ない。グニャっとツルっと持ちこたえる。滑りやすい靴を履いているとこちらが転びそうになって危ないくらい、彼らの体を覆う粘液はすごい。

正直なところ、こいつらとの共存がなかなか難しい。
苗を植えても種を蒔いても、彼らの手にかかれば一晩でぺろっと消えてしまう。「あれ、昨日ここにピーマン植えなかったっけ?」なんて、つい自分の記憶を疑ってしまうほど鮮やかな食べっぷりのこともあれば、柔らかい芽先だけが溶けるようになくなっていることもある。現場近くに透明の粘液がぱりぱりに乾いて残っているから、彼らの仕業に間違いない。

どちらにせよ、野菜はうまく育たない。苗を買う気にはならない。庭仕事にやる気が出ない。がんばってもどうせ生き残るのはほんの一部なんだもの。

ナメクジが食べない植物を植えるという手もある。そうなると、ハーブ類やネギ·ニンニク、それから宵待草。タンポポも強いけど、そうなってくるともはや野草料理。食卓を飾るような野菜の収穫は見込めない。

ナメクジの好きな野菜·果物のくずを野菜の苗の近くに置いてみたりもした。最初はそちらに集まっていたので、しめしめと思っていたら、あっという間に野菜にも足を伸ばしてカボチャが全滅した。

悩んでいる人は多いから、ホームセンターに行けば対策用品も手に入る。体が溶けてしまうエサとか、銅製の柵とか、口部分が意地悪な感じに外側に折れ曲がっている柵とか。羊毛もいいらしい。でも、そういう難関を全部クリアして食べに来るやつもいると聞いた。

ビール罠というのもある。単純に、ビールを入れた容器を土に半分埋めておくというもの。ビールの匂いに誘われたナメクジはビール風呂に入って死ぬ。溺れ死ぬのか酔って死ぬのかは知らない。

あとは、日が傾いてきた頃に鋭い金属棒で刺して回る。これは私の義母がやっていた方法。焼き鳥のようにぎっしりとナメクジが刺さった串は、庭の隅っこに突き刺されて立っていた。
私も一度手伝ったことがあるけれど、ナメクジの体の中心にはコリコリとした硬さがあって、楽に奪える命でないことに気づかされる。そこをズブッと貫くにはアドレナリンで気持ちを煽らないときつくて、そのうち妙なハイになる。何か達成したような感覚さえあった。後で自分が気持ち悪かった。

そういえば、以前某市の図書館で『楽しい昆虫料理』という本を見つけたことがある。料理コーナーに普通にあった。やるなぁと思った。
しかも新装版が出たらしい。

ナメクジも載っている。確か、体内の毒を出すために1週間くらい絶食させてから、乾燥させて粉にして、うどんなどに混ぜて食べるといいと書いてあった。
食べるために捕獲するなら気持ちが少し楽かもしれない。だけど、絶食後に脱水状態で死ぬというのは、串刺しよりつらそうな気もする。

要するに、私には決断と覚悟が必要なのだ。
自分は庭で何をしたいのか。そのために何をすべきなのか。私の及ぼす影響はどんなで、それは意義あることなのか。

そして、私は結局このままだと思う。庭もこのまま。
私の言い訳はこうだ。
一番効率のいい方法は毒エサだけど、それを使えばカタツムリも死ぬ。他の虫だって危ないかもしれない。柵は効果がよく分からないし、串刺しはなるべく避けたい。
我が家で食べる分の野菜なんてちっぽけなものだけど、どんなにがんばってもそれ全部さえうちの庭では作れない。結局お店で買い足すだろう。大規模農場で作られた野菜を買い足すだろう。そこで行われているあらゆる手段に間接的に同意しながら。
そんな中途半端なことをするよりは、今の状態を保つ方がいいのではないか。うちとお隣さんの庭の草ぼうぼう加減は、この辺ではそう見られない光景だ。ここに住んでいる小さな生物は多いだろうし、私たちの知らないバランスもできあがっているかもしれない。それを保つ方が、広い目で見たら意味があるような気がする。

結局は全て、言い訳と気休め。

私は自らは手を下さないで生きて行く道を進ませてもらっている。ナメクジは殺せないけど野菜は食べて、私は生きさせてもらっている。

ふと、小中学校の元同級生を思い出した。
動物が大好きで、羊飼いになって、インスタグラムには羊のかわいい写真がいっぱい投稿される。毎日お世話して、お産の時は一匹一匹何時間も手伝って、すっごいかわいい子羊を丁寧に見守り育てる。
そして、時が満ちたら彼らをラム肉として出荷する。
喜びも悲しみも、全てを真正面から受けとめて生きている。うらやましい程の美しい生き方。


この間見かけた小さなナメクジの子は親指半分程の大きさで、その上半身を不器用に持ち上げながら、玄関先のタイルの間から出たオオバコの芽を一心に頬張っていた。

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