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失敗のボーダーラインとは。

今年の仕事を振り返った時に、
「失敗したらどうしよう」
という思考と向き合うことが多かったです。
相談に乗る立場と、自分がそう思う立場と両方です。
そんな時に思い出すようにしている話を書きたいと思います。

失敗しても、怒られる「だけ」

私が今まで一緒に働いてきた人で最もメンタルが強かった、当時社会人経験2〜3年だった、営業マン時代の同僚Tくんの話です。

私が社員30名ほどの無名のベンチャー企業に入社した頃、なんとか地道にコツコツと顧客リストにテレアポして、小さな失敗も積み重ねてひいこら言いながら、半年経ってやっと顧客もついて来たころ。
Tくんが入って来ます。

彼が何をしたかと言えば、
・入社3日でテレアポのトークスクリプトを作り替えて気づいたらアポを取っていた
・入社1ヶ月後にはリーダーに立候補して、顧客候補のアプローチ方法を社長と営業メンバー全員に提案
・半年以内に営業メンバーでも顧客売上トップクラス
と、とんでもないスピードで、こじ開けるようにして活躍するTくんを眩しいなと思いながら見ていました。(今思えばこんな体制に数え切れない程の粗もあるんですが)

ある時私が
「そんなに勢いよく進められるのがすごいです。失敗するのとか怖くないですか?」
と聞いた時、Tくんは
「怖いと思ったことないです。失敗したら怒られるだけじゃないですか」
と言います。

私にとっては大きな認識のズレを感じた瞬間でした。
失敗を怖くないと感じる人もいる。
というか、失敗は怒られる「だけ」、そうなのか。。。。。

失敗のボーダーラインを、どこに置く

失敗すると人はどうなるか?

失敗が、
・自分や他者の命にかかわるもの
・所属組織等の看板に大きなリスクを伴うもの
・生活が大きく脅かされるもの
以外は、「マイナスはあるがリカバリー可能な失敗」だということに気付きました。

少しのマイナスをもって「失敗した」と言うか、大局をとらえて「ささいな失敗だった」というか。
ここは仕事の仕方、捉え方によく影響する。

何度か会社の新人研修に携わっていると、一挙手一頭足で失敗を恐れてしまうタイプの人、日報で些細なことで自分の粗探しをしてしまう人がいる。
どうしても行動や思考が小さくまとまってしまうきらいがある。

反面、その日に起こしてしまった小さなミスなどを「事実の一つ」とする人の方が、リカバリーが早いし、結果的に良いアウトプットを出す。

先のTくんはたぶん、怒られるような失敗らリカバリーできるし、それを大きなリスクと、捉えていなかったのだろう。

失敗のボーダーラインをどこに置くか、結構ちゃんと意識したいものである。

大晦日を、白黒つけないで終えよう

一年が終わるにあたって、私はあれもこれもと内省しがちなのだが、「成功」と「失敗」だけにこだわらずに、「保留」があってもよいのだ。

人間万事塞翁が馬。
来年の自分がまたそこそこに、笑って終われたら良いのかもしれない。

つれづれながら、よいおとしを。

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