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負けず嫌い2世

人は長い間生きていると、生まれ育った家族とは別に、新しい家族を築きますね。
一つだったものが二つになり、大事なものが変遷していく過程で、限られた時間・お金・心、の割く割合が変化していくのは当たり前のことだと思います。すんなり受け入れられる人もいれば、それが出来ない人もいます。
頭ではわかっていてもいざその割合が崩れる時、心に負担がかり、強い嫉妬や寂しさで身体が分裂してしまいそうになる。感情のまま怒鳴ってしまうこともあれば、気の向くままに頭脳を働かせ、相手をいじめ、貶め、今まで通りにしようと目論む。そこが人間らしいことでもあるのだけれど、もがけばもがくほど本人も苦しいし、見ている方も苦しい。

「負けず嫌い」とは、最も厄介な性格だと思っている。
産まれた時から親に負けたくない、兄弟に負けたくない、友達に負けたくない、自分が一番がいい・・・正常に働けば大成するのだろうけれど、敵を作りすぎないか?全てに負けないことなんてないのだから、冷静に考えてどこかで諦めなくてはいけない。諦めた先に自分の心と向き合って悟りが待っていればいいのだけれど、もしも、こんな恐ろしいアイディアが閃いてしまったら・・・?

自分が1番になれる家族帝国を作ろう。

まず旦那の粗を探し、自分が被害を受けたと主張し、優位に立った状態できつい言葉で制圧する。産まれたばかりの赤子は自分なしには生きられないから優位に立てる。成長するにつれて幼稚園や小学校で他の価値観を身につけてくるが、家に閉じ込め、他の価値観を遮断することことに抜かりない。
そんなこんなであっという間に一神教が出来上がる。
このくらい長く徹底して負けず嫌いをやっていると、子どもの小さな発見でさえ自分が知らないことを馬鹿にされているんじゃないかと反射的に考えてしまう。子どもの成績が良ければ鼻高々だけど、自分を抜かすことなどあり得ない。口喧嘩になったら、人格否定をする言葉を平気投げる。兄弟にもヒエラルキーを持たせ、徹底的に自分を崇めない子を陥れる。旦那の家族や自分が生まれ育った家族にも同じように負けず嫌いを炸裂する。全てが無意識で、とても不幸だ。

冷静になって考えてみような。

自分の親がどうしようもない負けず嫌いだった場合、悪いところだけなら割り切れるんだろうけれど、憎めない理由がきっとあるんだと思う。単純に親だからとか、育ててくれたからとかお金だけはかけてくれたとか、料理が美味しかったとか。
こんな苦しみもあるのかな、自分は負けず嫌いの血を引いているから自分のことが嫌いだと蔑んでしまう。反面教師で負けず嫌いの暴走を防ごうとコントロールするんだけれどできない。
血だから仕方ない、幸せになれないんだ、なっちゃいけないんだ・・・
しかし冷静になって考えてみような?
だからって、不幸になっていい理由にはならないよ?
自分は幸せになっちゃいけない人間だとか思っちゃいけないし、言うのも控えた方がいい。苦しいけれど。慰めて欲しいだけじゃないでしょ?どうなの?慰めて欲しいだけなの?何度も言うけれど、生い立ちや経験に傷を抱えていたとしても、幸せになっちゃいけないということはない。

そう考えることが、もう一つの家族を作る時、新しい友人、恋人を見つけた時、相手を想って、負けず嫌い2世にならない方法の一つだと、私は思います。




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