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場所の必要性


場所なんて必要ないと思っていた。


仕事をするにも
コロナ禍以前から
長年リモートワークをしていたし、
自宅で十分だった。


対人関係も苦手で
コンプレックスに感じるほど。

そうなると、場所の必要性なんて
私にとっては皆無に等しかった。

それなのに
私は今居場所づくりをしている。


大きな原動力になっているのは
やはり子供たち。

私一人だけであれば
居場所は自宅だけで十分だった。


でも、
子供たちは違う。

嫌でも私を外に出させてくれる。


子供たちのためにと思って
外に出るようになった私は、
いつのまにか
子供たちに連れて行ってもらっていたのかもしれない。


子育て広場や支援センター。

自分の住む地域から
他の市町村。

色んなところに足を伸ばすようになり
子育てや支援にまつわる話を
色々見聞きするようにもなった。


そうした人や場所との出逢いが
私の子育ての価値観を大きく変化させてくれ
同時に子育てをぐっと楽にしてくれた。


『みんなで子育て』

わたしがずっと言い続けて
大切にしていること。

これを継続していくために
私には場所が必要だった。


もちろん子育て活動は
オンラインでも可能だった。

必要な時期もあったし、
オンラインに重きを置いて
活動していた時期があったからこそ
今に繋がっているし、
居場所の必要性や価値を感じるようになった。


しかし
オンラインだけで活動していくうちに
私自身が単純に楽しめなくなってしまった。


『なんだか疲れてるね』

画面越しにそう言われる事が増えた。


オンラインは効率化にはもってこい。
だが
距離感が対面と違って掴みにくい。


慣れなのかも知れないけれど
やはりリアルに勝るものはなかった。



あくまでの私の場合にすぎないが。



オンライン、電波を通じても
エネルギーは伝わる。


しかし、それが故に
自分が心から楽しめているか
いいエネルギーが漂っているかも
同時に相手に伝わってしまう。


オンラインを使い、相手に
いいエネルギーを与えられていないのであれば
もうそこは私の居場所ではないと感じた。


どちらが良い悪いではない。

使い方が大事で、
使う人の在り方が大事。


私はこれからもオンラインは使う。

しかし
それ以上に大事にしたいことは
リアルであるということ。

人と人とが温度や空氣を
共有できる場所であるということ。


私は今後お寺を活用し
一人一人がそのまんまの自分で
心地よく過ごし、
氣持ちよく才能や役割を
発揮し、循環していける
そんな居場所を作っていきます。