夏休み 自由研究の不思議
小学校から配付された夏休みの宿題一覧。
気の毒なほどたくさんあります。
忙しいですね、小学生。夏休みなのに。
さて、その一覧プリントの自由研究の欄にこんな注意書きが。
え?なんで?
これが私の最初の感想です。
うちの子、ノーベル賞(ノーベル平和賞)のこと知りたいから、夏休みの自由研究で本読んだり調べたりしてまとめたい!と言ってたけど。。。
だめやん。
なんで?という不思議さが拭えず、FBに投稿してみました。
するとたくさんのコメントが寄せられました。
不自由な自由研究ですね。
探究の難しさは、子供が大人を越えるべきという教育の本質と向き合うこととともにあります。それが可視化されていくプロセスを経て、社会・学校・教員も乗り越えていくことになるんでしょうね。
自由研究のコンクールとかにエントリーするためかなあ?でもそれって学校の都合であって、子供の探究したいって気持ちはどうなっちゃうの?って思います。
システムが追いついていないことが多く目につきますね。そもそも何のためにやっているのか。。。
そのうち、「教科書に載っていることに限ります」とか言い出しかねないですね。
自分が知らないことは調べちゃだめ、という教員の無知による制限でしょうか。
教科横断的な学びに反してるわ。
令和時代の話ではないみたいな話ですね。
などなど。ちょっと辛辣な表現もありますが、みんな思いは共通していて、
子どもの「知りたい!」とか「これをやりたい!」を邪魔するなー!!ってことだと思います。
大人の都合による縛りは、自由研究の最上位の目的を考えれば、なくてもいいと気づけるはず。
もちろん、理科研究を一生懸命(親が?笑)やって、その成功体験で伸びる子供もいるでしょう。
その子はその選択をしてよかったんだと思います。
要は、子どもが自分で選択して、自分の興味関心に素直に、光の射す方へ進めばいいのではないのかなと。
子どもたちcenteredのほんとの意味での“自由“研究に早くなりますように。
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