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イメージプリンタ3

梅雨も明け、暑い日が続く七月。今日は日曜日で高校も休み。和真は家で昼食のオムライスを食べながら、つけっぱなしにしているテレビをなんとなく観ていた。どのコーナーにもさして興味はなかったが、ぼーっと観ているだけでも妙に気になるくらいのワシ鼻の男が映った。何かの番組の宣伝らしい。和真はその男をスプーンでさしながら、食器を洗っている母親に聞いた。

「こういう顔の方が特徴的で描きやすいんでしょ?」

和真の母はイラストレーターだ。似顔絵を描くのも得意で、瞬時に顔の特徴をつかみ、素早く描きあげていくことができる。声をかけられた母は、視線を手元の食器から和真の指すテレビに変えて答えた。

「そうね。眉毛が太いとか、目が垂れているとか、そういう特徴的な顔の人の方が似せやすいわね。大口を開けて笑うとか、特徴的なのは表情でもいいのよ。パッと見ただけでもその人の印象として残るでしょう」

ふーんと言って受け取る。小さい頃は母のようなイラストレーターになりたいと思っていたが、高校生になった今それは趣味に落ち着き、夢は医者に変わっている。小学生の頃、階段から落ちて大怪我をした事があり、その治療を懸命にしてくれた先生に感動したからだ。

「それより和真、こんなのんびりしてる場合じゃないんじゃないの」

そう言われて時計を見た。十二時五十分。今日は十三時から幼馴染の啓太の家に遊びに行く予定だ。啓太がハマっているネット動画配信者「キサラギ」がついにテレビにも出るので、一緒に観ようと誘われている。啓太の家は和真の家の比較的近くにあるとは言え、確かにそろそろ急いだ方が良いかもしれない。和真はお皿に残っていたオムライスをかきこみ、鞄を掴んで家を出た。


啓太の家に着くと、啓太はすでにテレビを点けて和真を待っていた。バラエティ番組が始まって、芸人がやいのやいのと騒いでいる。
キサラギは動画配信を始めて数年は全く人気がなかった。再生回数はどの動画も数十回程度。昔はつまらないチャレンジ企画を色々やっていたらしいが、五年ほど前から本当にあった事件や怖い話、都市伝説の紹介をメインにし始め人気になった。その話術はかなり巧みで、見ている人もまるでその場に居合わせているかのようなリアルな語り口が人気の秘密らしい。
そんなキサラギの出番は番組の後半らしく、それまで暇つぶしをして遊ぶことになった。

啓太がそれならとうきうきしながら棚から出してきたのはイメージプリンタだ。最新型を買ってもらったとかで、ドヤ顔がちょっとうざい。
イメージプリンタというのは、頭に思い浮かべたものをプリントできる今注目のプリンタだ。難しいことはよく分からないが、おでこに電極を貼ることで脳波を読み取り、その情報を高機能なAIを使って処理することで、想像を具現化することを可能にしたのだとか。和真も存在自体は知っており、正直興味もあった。
啓太によると最新型は電極がワイヤレスになったり、新しい機能が追加されたりしたそうだが、そもそも旧型のイメージプリンタすら使ったことのない和真はそのすごさの比較ができない。啓太に勧められるまま、とにかく使ってみることにした。
何を想像しようか悩んでいると、啓太は新しい機能を使いたいから、小学生の頃のことをぼんやり考えてと言った。

和真は電極をおでこに貼り付け、小学生の頃を思い返してみた。あの頃って何してたっけな。ぼんやり考えてと言われたが、そもそも思い出そうとしてもあまりうまく思い出せない。

それでもイメージプリンタはガーガーと音を立てて数枚プリントした。
一年生の時に担任だった先生、あまり目立たなかったクラスメイト、途中で引っ越してしまった好きだった子。今まですっかり忘れていたが、そういえばこんな顔をしていた。顔を見たから思い出したこともあるだろうが、関連して懐かしい記憶がどんどん蘇ってくる。イメージプリンタの作用だろうか。
しかしそれらに混じって一枚、明らかに異様な人物もプリントされていた。昼にテレビで見たワシ鼻の男だ。ニタニタとした笑顔が気持ち悪い。だがテレビで見た時とは髪型も違うし、ほんの少しだけ若い気がする。

「これ、キサラギじゃん。俺らが小学生の時は、まだキサラギなんか知らなかっただろ。全然有名じゃなかったし」

啓太が覗き込みながら訝しげな顔をした。そうだよなと和真も思う。

「さっき家を出る前に番組の告知を見たから、その時の印象的な顔がつい頭に浮かんじゃったのかな。イメージプリンタってのは頭に浮かんだものをプリントするんだろ? ――でも忘れてたけど、このワシ鼻も、この表情も、昔どこかで見た気がするんだよな。なんだろう、すごく怖くて嫌な感じだった気がする」

和真はプリントされたキサラギの顔を見て考え込んでいた。卒業してから一度も思い出したことのなかった同級生でさえイメージプリンタを使ったとたんに色々思い出せたのに、キサラギの顔は頭のどこかで思い出すことを拒否している感じだ。その様子を見ながら啓太も黙っていたが、やがて慎重に口を開いた。

「この最新型のイメージプリンタ3には記憶モードっていうのがあるんだよ。今和真が使ったのがそう。自分が忘れてしまった記憶のプリントができるんだ。人は記憶を鮮明に保っていられないが、イメージプリンタが忘れてしまった記憶の引き出しを開けてくれる。本来は物心付く前の記憶をプリントしたり、昔すぎて忘れちゃった記憶をプリントして使うんだけど……。和真、お前小学生の時誘拐されて大怪我した事があっただろ」

誘拐という言葉を聞き、和真の記憶の扉が急に開いた。自分で血の気が引いていくのが分かる。手にはじっとりと汗をかいていた。

そうだ、思い出した。
俺がなぜ小学生の時に大怪我をしたのか。

まだ小学生だったあの日、突然何者かに誘拐され、殺されそうになった。犯人がなぜそんな事をしたのか、なぜそれが俺だったのかなんて知らない。暗い倉庫のような場所に連れて行かれ、棒で殴られ、とにかく怖かった。それでも一瞬の隙をついて必死にその場から逃げ出した。逃げる途中、振り返って追いかけてくる犯人の顔を一度だけ見たが、その時はとにかく自分が助かることだけで頭がいっぱいだった。
その後、運良く通りがかった大人に保護され命は助かったが、気絶して数日意識が戻らなかった。目が覚めた時には恐怖とショックで犯人はおろか事件の事をすべて忘れてしまっていたんだ。事件の事を無理に思い出させないように、母は怪我の原因を階段から落ちたからだと俺に教えた。

犯人は、今もまだ捕まっていない。でもあの時一度だけ見た顔が、今ははっきりと思い出せる。パッと見ただけでも印象に残るあのワシ鼻とニタニタした嫌な笑顔。

テレビではキサラギがゆっくりとした口調で誘拐事件の話を始めていた。


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