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「迷惑」は自分と相手の捉え方次第

海外を旅したり、住んでみて、感じたことは、人の価値観は十人十色でみんな違ってみんな良い。「常識」や「当たり前」や「普通」ということは、この世に存在しない。日本に住んでいたら「日本の常識」というものに従わなければならないのか、会社に属していたら「会社の当たり前」というものに従わなければいけないのか。その答えも十人十色だと思う。従う、従わない、場合によって従う、も全て良し。

でも海外の人と約2年過ごして、私は日本の常識や当たり前や普通と言われるものが、人の目を気にするものであって、周りに合わせるものであって、自分の気持ちや意志を押しつぶすものであり、心地よくなかったり、何のため?不思議だ、と感じることが多くなった。

最近、迷惑とは?を考える場面に出会った。

私たち日本人は周りに気を遣いすぎでいる。私たちが思っている相手への迷惑の多くは迷惑じゃない。

日本人は人に迷惑をかける事は「悪い事」といった価値観が大きい。私自身も「迷惑はかけてはいけないもの」と思い込んで30年間生きてきたから、迷惑=悪いこと、失礼なことと思い込んできた。でも本当にそうなのかな?その迷惑って迷惑なのかな?

「迷惑かけるのは当たり前。人間は迷惑かけあうものでしょ?それにそれを迷惑と捉えるかは相手次第でしょ?」とニュージーランドで言われたことがある。

海外でやたらと無意識に謝る私に「なんで謝ってるの?」「そこは謝るところじゃないよ」「迷惑なんて思ってないけど?」「頼ってくれて嬉しいよ」「何でも言ってよ、あなたは家族なんだから」「こんなのお安い御用だよ」「人生おもしろくしてくれてありがとう」「sorryよりthankyouの方が嬉しい」と伝えてくれた人たちがいた。

インドでは「人に迷惑をかけてもいい、その代わり迷惑をかけられたら助けなさい」という価値観もあると聞いた。

迷惑をかける自分を許すようになると、迷惑をかけられることにも許せるようになる。迷惑かどうかも気にならなくなる。そしたら生きやすくなってくる。海外で学んだことは、周りに「助けて」と迷惑をかけ、誰かの「助けて」という「迷惑」に全力で助ける。うるさい、となる場面でも、迷惑かけられているという捉え方よりも、あの人大変そうだね、という傍観者の捉え方や、なんか出来ることあるかな?っていう助ける捉え方があるということ。

そして「迷惑」と言われるものに意識を向けるようになって気づいたことは、迷惑をかける人ほど、自分の人生を必死に生きてる人が多い気もする。

私も「常識」「当たり前」「普通」と言われることに流されそうになることがあるけれど、本当に当たり前なの?と調べてみたり、自分はどうしたいのか?どう感じるのか?と自分と対話しつつ、自分の軸に沿って行動するようにしている。繊細な私は、その選択が迷惑になるのではないかと、周りの目を気にすることも多々あるけれど。笑

常識って何?当たり前って何?普通って何?迷惑って何?自分に問うと、自分を知る。知ることはどう生きるか、に繋がる。そして心の中の答えは日々変わっていくこともある。「迷惑」と言われるもの、それは自分の、相手の、捉え方次第ってこと。

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