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会議を制する者がビジネスを制す 『バリューのことだけ考えろ』#3

本記事は、私の新著
『バリューのことだけ考えろ』(2024年6月30日発売)
からの抜粋です。

私は20年以上、アクセンチュア、デロイト、PwCといった大手コンサルティングファームでキャリアを積み、最終的にはパートナーにまで上り詰めました。

その経験を通じて培った思考法を、これからのAI時代を生き抜こうとするビジネスパーソンの皆さんに伝えたいと思いました。

単なるコンサルティングスキルの解説にとどまらず、すべてのビジネスパーソンが自らの市場価値を高め、キャリアを築いていくための実践的なガイドとなるよう心がけました。

不確実性の高いこの時代を勝ち抜くために、私の経験が少しでも皆さんの力になれば幸いです。

# 議事録はエビデンスであり、戦略そのものである

## 議事録は新人の簡単な仕事ではない

どんな仕事でも、新人がまず仕事として渡されるのが議事録の作成だ。書く方はとりあえず過不足なく正確に書けばいいと思っているし、読む側は文言のチェックだけすればいいと思っている。

勘違いされがちであるものの、実はコンサルタントにとって議事録はとても重要な仕事である。なぜならクライアントとの関係構築の戦略の重要な部分を占めるからだ。ある意味、会議の進行と同じくらい議事録にも気を遣うべきだ。

議事録には必ず、議事録に書かれたことが正しいことを確かめる承認行為が発生する。仮に議事録がないミーティングがあったとしよう。人間の記憶は曖昧なので、すぐに「言った」「言わない」の応酬が起きるだろう。だからこそ、議事録は圧倒的なエビデンスになるのだ。

そのため私は、自分が関わるプロジェクトでは議事録に相当な力を入れていた。重要度の高いプロジェクトに関しては、自分が役員になった後も注視していた。

議事録をとる際は、必ずその会議における目的(=メッセージ)を押さえなくてはならない。フォーマットは二の次である。クライアントの望む形式に合わせればいい。大事なのはあくまでも中身だ。

会議の背景では、関係者間の思惑がうごめいている。ミーティングを単なる会議ではなく、誰かが誰かを説得しようとしている「交渉」と捉える。その力学に自覚的でなければいけない。

議事録をとる人はこの構造を理解した上で、会議の目的のイニシアチブを自分が握っていることを忘れてはいけない。

また、議事録には会社の仕組みやメンバーの序列が記載されている。出席者の名前の順番一つとっても、権力構造が見え隠れしている。手ぐせで作業するのではなく、メタな思考を働かせることで、実は議事録は組織力学を理解する最良のトレーニングになるのだ。

## メッセージ(目的)を明示しない議事録は、ただのメモである

議事録に関して、もう少し具体的な方法論についても語っておこう。多くの議事録で見受けられるのは、「決まったこと」と「決まっていないこと」が明確に記述されていないことだ。ただただ発言を漏れなく羅列した文章は議事録とは言えない。それは単なるメモである。

繰り返しだが、議事録において大切なのは会議の目的のコンセンサスを取ることだ。また、決定したこと、決定しなかったことを明示する。それに付随して、アクションも必ず明記する。

その際、なあなあにしてはならないのは責任者を確定させること。必ずミーティングの中で「誰が」「いつまでに」「何をやるのか」を明確に確認しておく必要がある。これらをおざなりにすると、次の対策が間延びしてしまうからだ。

これらの項目が欠けた議事録はまったくもって意味を成さない。議事録に責任が明記されるからこそ、各人にプレッシャーが生じ、プロジェクトが推進される。その意味で議事録はプロジェクトをコントロールする起点となる。

ここまで述べた議事録のとり方を徹底すれば、自ずと議事進行のあり方も変わってくる。議事進行は議事録と一心同体だからだ。議事録に残されることが前提となれば、会議には正しいプレッシャーが漂うことになる。

だから「誰が議事録を書くのか?」の話になったら、すぐさま自分で手を挙げるべきだ。そうすることで、こちらが主導してメッセージを入れることができる。相手の好感度も上がるはずだ。面倒くさいことを率先してやってくれるのだから。

議事録を書く際は、口頭でのやり取りで発生する微妙なニュアンスを文章に落とさなくてはならない。たとえば自分は「A」だと思っていても、先方は「B」と捉えているかもしれない。AとBのどちらとも取れる際は、チャレンジングにはなるものの、私なら迷わずに「A」と書く。仮に相手がそれを見落として、議事録を承認すれば、「A」が確定する。

もちろん偽証は御法度であるが、ニュアンスには常に解釈の余地がある。解釈をこちらの意図通りに汲み取り、議事録に残す行為は戦略そのものである。

## 「誰を会議に出席させるのか」から戦略は始まる

議事録がスムーズに書けるようになった頃には、今度は会議体の組成を任されるようになるだろう。定例会議に誰を呼び、いつ開催するのか、ということを決めることになる。

誰を会議に出すのかについても、議事録同様、戦略的に考える必要がある。先ほども述べたように、会議と議事録は後々、エビデンスになる。ドラマでは、誰が殺人現場にいたのかが必ず問題になる。仮に自分は殺人犯ではなくとも、現場にいたのなら重要参考人にはなるだろう。大げさに思うかもしれないが、誰が会議に参加していたのかは同じく重要な事柄である。

だからこそ、会議に招集するメンバーは念入りに考えなくてはならない。

私はアクセンチュアで何度もトラブルに巻き込まれながらも、その中でプロジェクトの定例会議をどこに設定し、どれぐらいの頻度で行い、誰を招集するのかという会議設計がとても大事だと教わった。最初は神経を使って、自分から何度も上司のレビューを受けにいった。呼ぶ人の選定についても、上司に確認し、理由を聞いて理解していった。だんだん理解してくると、自分から「これはこういうことですよね」と言えるようになり、上司に認められたときは嬉しかった。

なぜそこまで会議設計にこだわった方がいいのかといえば、会議体を組成する立場の人間は、実は非常に強い力を持っているからである。あらかじめある人がスケジュール上出席できないことを確かめた上で会議を設定する、ということすら可能なのだ(ここまでしたたかに、意図を持って会議やアジェンダを設定し、実行できているコンサルタントはあまり見たことがないが)。

たとえ先約があっての欠席であっても、その理由は議事録に書かれることはない。欠席したことのみが記される。あとから議事録を振り返れば、「欠席したこと」そのものがコミットメントのなさの証明になってしまう。

ちなみに会議への参加者としての立場で考えると、招集された定例会議には嫌な顔をせず出た方がいい。定例会議には責任逃れの性質がある。なぜなら定例会議にはお互いをチェックする機能が求められるからだ。

そのため、何かトラブルが生じた際、「私たちだけの責任ではない。会議に参加していた皆は運命共同体だよね」とエクスキューズができる。出席していないのをいいことに、気づけばスケープゴートに仕立て上げられてしまう可能性がある。

## 会議のアジェンダ設定は脚本

会議には参加するステークホルダー各々の思惑がある。まずはその力学を理解した上で、誰がこの会議の主役なのかを把握しなくてはならない。その際、必ずしも役職がトップの人が主役とは限らない。

たとえば、先方の部長を立てることで、社長からの評価を上げてあげることが主題ならば、それに沿った会議体を作り上げなくてはならない。

誰を主役にするかによって映画の舞台設定が変わるように、目的に応じてアジェンダの内容や順番も変わる。その意味でアジェンダはストーリーを司る脚本そのものだ。映画にとって脚本がなくてはならないものであるように、ビジネスにおけるアジェンダ設定も重要だ。部下に任せっきりは論外である。

会議の目的は何か、主役は誰か、どんなストーリーで進行するべきか──自分でコントロールしよう。こうした意識を持てば、議事録にせよ資料作成にせよ、ゲーム感覚で没頭できるようになる。

人の生き死にを左右するかもしれない戦だと捉えれば、議事録のタイトルを間違えるなどといった凡ミスは起こりようがない。逆に言えば、その気概がないからミスが起こるのである。

アジェンダや参加者といった会議設計をギリギリになるまで言わないで怒られる人もいるが、それは怒られて当然だ。クライアントもコンサルタントも単価の高い人が多数集まっているのだから、時間の感覚は何よりも大切にしなければならない。

また、アジェンダを作る上で非常に重要になってくるのが、会議の前に行われる「事前交渉」だ。「会議にはなんらかの目的がある」と先ほど述べたが、その目的や方向性をある程度、事前にすり合わせておくのが重要だ。

この裏交渉は「あえて」議事録に残さない。だからこそ言えることもあるからだ。ようは、使い分けである。表にしろ裏にしろ、クライアントとのやり取りはすべて交渉戦略であることを認識しておきたい。

社内会議であっても事前交渉は不可欠である。事前交渉を怠ったばかりに、会議が炎上することはよくあるだろう。会議の目的は決定事項を確認することであり、議論することではない。議論が必要なら、別の場を設ければいいのだ。

最もよくないのは、会議の場で議論が白熱し、収拾がつかなくなることである。これは会議設計の問題だといえる。

会議のアジェンダに議題と目的を明確に書いておけば、それに沿って議事を進行管理できる。しかし、議題が明確でなかったり、議論の優先順位がつけられていなかったりすると、脱線や茶番劇が繰り広げられ、会議は迷走してしまう。

あなたが議事進行を務める会議が炎上したのなら、それは100%あなたの責任だと考えるくらいでちょうどいい。

## 定例会議で救える命がある

私自身の経験から言えるのは、生きた知識はプロジェクトのトラブルを通じて身につけられるということだ。炎上から得られる学びは大きい。

変な話、マネージャーの出来が悪ければ、自分が悪くなくても悪者になってしまう。自分の身を守るためにも、自分が優秀になるしかなくなるわけだ。マネージャーに頼れないので、自ら会議や議事をリードし、体系化する。

本来であればマネージャーが行くべき先方の部長など、キーマンへの説明にも自ら足を運ぶ。そうすることで、関係値を作っておくことができる。

その先でマネージャーよりも先に自分を頼りにしてくれる構図ができれば、プロジェクト自体のコントロールを自分で利かせられるようになる。

マネージャーの中にもこうして主導権を握らない人が多くいる。本来、コンサルタントの価値はクライアントの「WOW」を引き出すことなのに、こなすことが仕事になってしまっているのだ。

たとえば会議の中で相手が自ら不利になるような発言をしてしまったとする。その証拠となる議事録を全体に共有する前に、個別に会いに行き、「この発言、ちょっとまずいですよね。少しぼかして書いておきましょうか?」とあえて伝えることで、こちら側が命の恩人になることだってできる。

もちろん、議事録には絶対に嘘を書いてはいけない。しかし、ニュアンスを変える程度のことは書き手次第である。グレーな部分をそのまま書くと、後で火種になるリスクもある。

ちなみにこのように相手が弱っているときには、「ほら、確かにあなたこう言っていますよね? 議事録にはきちんと書いてありますよ」とマウントを取りにいってはいけない。むしろ不利な状況に陥っているときこそ、こちら側に引きつけるチャンスになるからだ。辛いときに助けてくれた人はいつまでも恩人になる。

だからこそ、普段の何気ない定例会議でも、時に誰かを救えることがある。たとえば誰かが犯してしまった失敗を定例会議のアジェンダとして扱う。

ここでは、その人のためのストーリーに仕立て上げることが大切だ。確かに失敗はしてしまったものの、その人が意図していたプロセスを全体に説明する。

そうすることで、「結果はもちろん変わらないけれど、その頑張りは認めるべきだね」と、その人の評価を保つことができるかもしれない。

炎上案件で誰かを吊し上げるだけの会議にはなんの意味もない。事前に会議設計をした上で、相手を救うことの方がよっぽど意義があるだろう。


いかがだったでしょうか?このバリューの考え方がコンサルタントの皆さん、だけではなく全ての上を目指す方々のお役にたてることを願っています。是非、手に取って読んでください。

Peace out,

エリック


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