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シノヘ歴①(NSCに入るまで②)

 ↑ シノヘの社会人時代の記事も読んでね、労働者時代!


今回は標記の通り、NSCに入学する前の3月の思い出

1-①.福井の3月

2021年 2月末、業務の引継ぎを済ませ最終出社を終えていた。
3月は 3年間で貯めてきた有給休暇の消化期間だった。

3/13に大阪に入居日を構えていたため、2週間ほどは福井で過ごした。
僕がいたのは福井県でも越前市。
最寄りは武生駅。自動改札機もない田舎駅。
そこから歩いて20~30分する社員寮に住んでいた。することなんてない。

前回の記事で写真を貼ったゴツ黒い(ごっつくて黒い)アメ車(アメリカ製の車)は、既に売却(売り払うこと)していたため、せっかくの有給休暇(労働者に与えられた権利)は遠出もできない毎日(退屈であり幸せ、そして無駄にしてはいけないかけがえのないもの)だった。

初日はそれはもう気持ちのいいもんだった。

寮では朝食と夕食が出るのだが、わざわざ早起きして皆と同じ時間に起床し、着替えてご飯を食べるみんなを横目にパジャマでご飯を食べる。

寮の前で優雅にタバコを吸いながら皆をヘラヘラしながら仕事に送り出した。 「いってらっしゃい」は言わない、目で見送る。

部屋に帰ると、昼前から趣味のAV鑑賞。
暇すぎて、エロくもない前半のインタビューシーンだけを見漁っていたりもしていた。

昼になると、ずっと行きたかった絶品の越前そば屋まで1時間かけて徒歩で向かって、そばを食べた。福井のそばめっちゃおいしいからオススメ

で、また家に帰ってAVとか映画を見て、寝たりした。

「こんなもん王様の生活ですやん!!」 

たぶん言った気がする。

夕方になると、わざわざエントランス前で読まない本を開いてタバコを吸いながら寮生を出迎える。(ほぉ、労働おつかれさま。ニンマリ)

ただ、こんなムダな時間は身体が一日で拒否した。
翌朝、11時まで寝てやった。
越前市立図書館まで30分かけて歩いて行き、18時まで読書した。
たぶんちょっとネタを書いたりもした。
この時初めて松本人志の遺書を読んだ。ホントの遺書だと思い込んでたからコラム集でビックリした思い出。

苦手な読書の1日は意外にもとても充実した。
ちなみに福井から出るまでの2週間、起きる時間こそ違ったが毎日こんな生活をしていた。有給もったいな!!遊べ、踊れ、騒げ!!

1-②.福井→大阪へ

2021/03/13
前日の夜に荷物をパンパンに積み込んだレンタカーのセレナに、2人で乗り込んで大阪に向かった。
引っ越しを手伝ってくれたのは、サラリーマン時代 1番一緒に遊んだ同期であり友人。ほんとにいいヤツ。土曜日なのに早朝に集合してくれた。

僕が最初に大阪で住む街に選んだのは、鶴橋。
洗濯物を外干しすると、焼き肉の煙に燻されて美味しい香りになってしまい、ついついTシャツにタレをかけてしまうことで有名な鶴橋。

駅から徒歩一分なんて能書きはあるが、非常に細く入り組んだ路地裏にある世紀末感漂うワンルームマンションだった。正しくは極狭独居房。
人権が確保された北欧の刑務所のほうが住みよさそうな家だった。

そんな路地のため、マンション前に車を長時間停車することはできず、少し離れたコインパーキングから荷物を運び続けた。何往復もピストン搬入。鬼ピストン。激ピストン。いくら突いても揺れない微乳がどうしようもなく可愛いスレンダー女子を激ピストンでイカせてトドメに中〇しキメる総集編!

1時間半くらい荷物を搬入し続けて、何とかすべてを運び終わった。
確か昼過ぎ、今は無き駅前のひるドラでラーメンを食べた気がする。

夜に飲みに行って帰ってきて寝る予定があったので、段ボールを開封したり、上本町のニトリまで布団を買いに行ったり、寝る場所を確保するための片付けをすすめた。ひと段落ついたころには17時ごろ。

さぁ飲みに行こうと意気込むも、コロナの影響で店はまだ時短営業中。
「遊ぶぞぉ~!」みたいな意気込みで家を飛び出した二人は、居酒屋でしっぽり飲んで、ぼちぼちの時間に店を出てコンビニで酒を買って家で飲んで寝た。初日やで?!!

翌日レンタカーを返却しに福井に戻り、電車に揺られて大阪に戻ってきた。
引っ越し完了。
実家でもなく、寮でもなく、初めての一人暮らし。ウキウキなんてしちゃったりして。

1-③.大阪の3月

ようやく見えてきた芸人人生のスタートライン。
日差しの悪い部屋の初めての目覚めは、太陽ではなく隣人の喘ぎ声だった。

後々わかるが、隣人は大阪43期で1期上の先輩芸人だった。
声の主は、たまに遊びに来ては爆音を響かせる先輩の彼女だった。大音量AVの可能性も捨てきれないほどに爆音。勘弁しちくれぇ~い。

ギンギンで目覚めたそんな日は、自転車を買いに難波に向かった。
難波は昔よく来てたので特に新しい発見はないのだが、特別キラキラして見えた気がした。

僕は昔から早い自転車に憧れがあったが、駐輪所の関係で部屋におけるサイズのロードバイク:ミニベロロードが欲しかった。
当時は車からの乗り換えということもあり、このくらいだろうと10万円近い予算を持ってパークス近くの自転車さんに行った。

到着すると、自転車屋というよりサイクルショップ。いや、CYCLE SHOP。ここには自分が求める自転車がある、、直感で店内に入店。

店員さんは声をかけてきたりしない。ここではそれは野暮だから。
1台1台品定めするように自転車を確認していく僕。
僕には悪い癖があって、すごくカッコつけちゃう。
この時も僕の悪癖は発動していて、分かりもしないのにしゃがみ込んで自転車のチェーンを見て「ふぅ~ん。」と軽く頷いたりしてた。一緒や全部。

そうこうしているとミニベロロードの一角にたどり着いた。
(これこれこれぇ~い!)と内心ガッツポーズで値札を確認すると安くて7万ほど。ビビった。10万用意しててもホンマは4万やと思ってるやん。
悩んでるフリをしながら出口のほうに近づいていく。

おそらく一連の立ち振る舞いを見ていた店員が声をかけてきた。
「こういう自転車初めてですよね! どんなんがいいんですか?」

全部バレてた。めちゃくちゃ恥ずかしかった。
俺が通ぶって見せた、しゃがみ込みチェーン見頷き(通称:しゃがチェ見)も、「あいつやってんなぁ~。笑」くらいに思われていたのだろう。

突然話しかけられた焦りとバレていたという恥ずかしさから、
「この春からNSCに通うんですが、鶴橋から難波まで行くのに上本町の坂があって~(中略)~、楽に坂が昇れて早い自転車がいいと思うんですよ」

聞かれてないのに全部答えた。住まいから、芸人をするということまで。

向いてないと思われたのだろう。本来気になるはずのNSCというワードには一切触れずに、電動自転車を進めてきた。違う!!

落ち着きを取り戻して、部屋が狭いことを伝え、電動自転車じゃ入らないからと店員の意識をミニベロに向けた。

(この調子、それを勧めてくれ。そしたら俺には買う理由ができる)

店員が勧めてきたのは普通のミニベロ。女子大生が好んで乗るタイプの。

女子大生自転車


店員さんは淡々とJDチャリのメリットを提示してきた。
 ・難波は盗難も多いし、高い自転車はメンテナンスも大変。→(ほぉ)
 ・自転車で15分の距離ならこれで十分 →(確かに)
 ・カゴがついてるとモノを入れることができる →(知ってるわ)
 ・芸人はお金がないだろうしムダ使いは良くない →(んんん?)
 ・フレームの曲線が柔らかそうに見えていい →(どういうこと?)

さすがに気付いた。舐められてんなぁ,コレ。
実際にはそんなことはない、親切心に決まっている。
ただ僕は、”バレた” ショックにより冷静じゃなかった。

「この自転車くださ~い。3年サポートプランで」
手厚い補償に入った。追加で2,000円ほど払った。
欲しくもなかった自転車は、意外にも早かった。
6段ギアのおかげで帰り道はスイスイ進んで、坂道なんて余裕だった。
後悔などあろうものか。。今ではお気に入りの自転車である。

残る3月は、この自転車でいろんな場所に行った。
大阪城公園まで行ってみたり、天王寺動物園にシロクマの赤ちゃんを見に行ったり、てんしばに桜を見に行ったり。
意味もなく夜の難波をサイクリング。
どこの店も開いてない、あんなに静かな難波はもう見れないだろうな。。。

まだ四戸はシノヘになる前。


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