見出し画像

Essay|ホラーを乗り越えた先のハッピー

それはもう随分と前から始まっていたのだ。

うちの会社のテレワークが始まって気づけばもうすぐ丸一年になる。これまで毎年240日ほど会社に通ってたところがこの1年は恐らく50日にも満たない。それゆえ、日常に入ってくる声、情報、景色はまるで違う。

一番目にする光景は、我が家だ。そりゃぁもう我が家のあらゆるほころびが気になって仕方ない。逆に言うと帰っては寝るだけの日々だった頃は、こんなにも目の前にあった揺れをよくもまぁ素通りしてきたもんだなぁと我ながら思う。

気になりだすと人間止まらないもので、綻びどころか「なぜここのドアはこの色?」とか「この家具ココじゃないな」とかゴソゴソし始めるのだ。

そして今、念願叶ってDIYである。あの憧れのDIYである。もちろん自分ではできないので(というか一度チャレンジしたもののせっかちが邪魔をしていちいちマダラなんである)今回は万を辞して実家に住む父に上京してもらった。

父はもう仕事をリタイアして今では趣味を謳歌している。近所に畑を借りて野菜を育てたり、割とデカ目の小屋を作ったり、お友達の家の修繕のお手伝いに行ったり、庭の塀をコンクリートこねてレンガを重ねたりしている。作業してるとプロと間違えられて危うく通りすがりのちょっと離れたお家の人から発注をもらいそうになる始末で、とにかく家豆な人だ。

春を迎える前にジャガイモを植えてしばらく畑仕事は手が離れるということで、わたしにとってはチャンス到来。とにかく我が家のバージョンアップ計画を付箋に洗い出し、ペンキを塗ったりジャストサイズの棚を作ってもらったりとわたしの妄想がどんどん形になっていくのでご機嫌である。


映画『ハッピー・オールド・イヤー』は簡単に言うと断捨離の話だ。簡単に言い過ぎたのでもう少し補足をすると、留学先のスウェーデンでミニマルなスタイルを学んだ主人公のジーンが物で溢れた家を改装しデザイン事務所を作ろうとする物語。断捨離は、ただモノを捨てるだけじゃない、過去の自分や置き去りにしてきた人間関係も含めて今にアップデートしていくことである。これがとにかく辛いのだ。

何を隠そう。今回のDIYに向けてまずはひたすら断捨離をしていたのだけれどわたしにもあったのである。忘れたフリしたあんなことや、とりあえず一度眠ってもらった人間関係が。普段はあけない白いダンボールに19歳から書き続けている日記と歴代のガラケー。怖い、怖すぎて震える。

これはもうホラーだ。触ると一気に引き戻される開かずの間。捨てるべきか、思い出としてこのまま保管するべきか。お家を綺麗にどんどん仕上げでくれる父の横で、わたしはこの過去とどう向き合うか考えあぐねているところ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?