坂本龍一、絶望の深海から見上げた海面の光
坂本龍一が亡くなった。
昭和生まれのわたしがその存在を知ったときには、既に世界の坂本で。
彼の音楽を好きかどうかに関係なく、その音色を少しも聴いたことがない人はいないと思う。
びっくりするくらいたくさんの美しい音楽を世に生み出した人が、この世からいなくなってしまった。
わたしは、かなしいとかではなく、ひとつの事実に呆然とした。
坂本龍一だけでなく、目の前にいる人も、目の前にいない友人も、桜の花も、紅茶が入ったコップも、飛んでいる飛行機だって。
いつかは、必ず、この世から無くなるのだ。
人間の致死率は100%だから。
地球だって太陽だって銀河系だって、まだ見ぬ遠くの星にだって、寿命がある。
こんにちは。
Eri Kooです。
わたしは音楽にそれほど詳しくはない。
好きになったアーティストを何度も何度も飽きずに聴き続けるし、それもたまたま耳に入って好きになってがほとんど。音楽好きのようにDigって自ら発見したり深掘ることもないし、ジャンルの流れみたいなことも知らなかった。
けれど、音楽が大好きで大好きな人、その道で生きている人たちに出会って。
そこから、たくさんのことを教えてもらった。
ビートルズがいかにすごかったか、ジャズとは何か、ヒップホップとは何か、アンビエントはいかにして生まれたか、などなど。
知っていくうちに、自分が好きな音楽は、一体それのどこがイイと感じてるのか?なんて、抽象的なことさえ紐解けてきた。
音楽という広大なカルチャーを知り、そこから自分が何を求めてるのかということを知ることになっていった。
いろんな音楽を耳だけでなく全身で聴くこと。
そこから頭を使って記憶を辿って、いろんなアーティストやジャンルからの影響、そのミュージシャンの民族や文化背景や歴史がにじみ出ているのを感じること。
音楽はただ聞き流すだけのものでもなく(それはそれで良いものだが)、心も体も思考もぐるぐると大きな海の渦に巻き込まれるような、圧倒的な体験だと知った。
音は波だ。
明確な事実だ。
どんな楽器も、声も、手拍子も、空気をふるわせて鳴る。
その震えが波となって、鼓膜をふるわせて音が聞こえる。人間は60%くらいが水分だから、カラダ全体にふるえが伝わっている。
好きな音楽を聴くと、心もカラダもふるえて興奮したり落ち着いたり感動したりする。
そうやって音楽を知っていくうちに、日本の音楽カルチャーの中でどうやったって外せないのが細野晴臣であり、坂本龍一であり、高橋幸宏で、YMOだと教えてもらった。
個人の好みを越えて、彼らの影響を1ミリも受けてない日本のミュージシャンはいないだろう。反面的であっても。
わたしに音楽というものを教えてくれた友人が、一番熱く語ったのが彼らについてだった。
おかげで、まだ彼らが生きているうちに(もう存命なのは細野さんだけとなってしまった)たくさんの彼らの音楽を聴くことができた。
わたしの好きな音楽の源流が彼らだったり、彼ら自身が影響を受けたアーティストをわたしも好きになったりした。
今年のお正月には、ラジオ『坂本龍一ニューイヤースペシャル』を聴いた。
イヤホンで聴きながら、寒い冬の街を散歩した。
そのピアノは、一曲ごとに休憩をしながらの演奏ということが、説明されなくても伝わるほどで。
毎日、常に、死から顔を覗かれている人間が、鍵盤に指をおいて。一音一音、筋肉に力を込めて落としたのだと音が伝えてくる。
彼自身はもっと生きたかったし生きるつもりだったとか、もっと音楽を創り続けたかったという欲もたくさんあったのかもしれないけど、びっくりするほど音色が「白い骨」みたいな純化を感じた。
死体が、筋肉も内蔵もなにもかも溶け落ちて、最後には骨だけになるように。
最後の最後に残る、音楽の結晶みたいなピアノ。
あぁ、坂本さん、長くないんだな。
そういう人はこんなピアノを弾くんだな。
そういう音楽を、ファンに、みんなに届けて、聴かせてくれたんだな、と思った。
坂本龍一を偲ぶほどにファンであったかと聞かれると、坂本龍一を教えてくれた友人のような長く濃いファンの存在がいるから、素直にはうなずけないけど。
ただ、彼の音楽がこの世において絶対的に欠かせないものであったこと。
それは彼の名声や地位や名誉じゃなくって。
ただ純粋に、人類の音楽の中でとても大きな部分を持ち上げてくれた存在だと感じる。
『ラストエンペラー』を聴くと、人間の悲しさと雄大さと悠久の文化や歴史、それから波乱に満ちて環境に翻弄される溥儀の人生の悲喜と壮大さを思うし。また、凡百な自分の人生も、自分にとっては同じくらい壮大だと思わせてくれるし。
ヨハン・ヨハンソンの『Joi & Karen』をReworkしたものは坂本龍一だと知らずに聴いていたのに、なぜかハッとしてクレジットを見たら彼のピアノで。
深海の中で弾いているようで。
『君の名前で僕を呼んで』のサントラもとてもとても美しくて。
真夏の明るい日差しと、青春期の残酷さみたいなのが心地よくて、延々と聴き込んでいた。
彼のピアノを一言で言うなら「絶望の深海から見上げた、海面の光」。
常に「絶望」がその底にあると、わたしは感じる。
でも、絶望ゆえの安らかさであるとか、絶望してるから歩いていけるとか、希望のない希望がある。
絶望という断崖立った者だけが見える風景が、ある。
それを音楽にしてくれた。
坂本龍一の音楽は、確かにわたしの人生を彩り、癒やし、快活にしてくれ、平静を取り戻させてくれる貴重な音楽だった。
どうぞ、安らかに。
美しい音楽を、とてもたくさんこの世にくれて、ありがとう。
読んでいただきありがとうございます。
祝福アレ♪
P.S.
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明日への活力です。
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