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“表現”は、“私にとっての言語”。不器用な私が見つけた、“社会とつながる手段”にまつわる“ストーリー”

皆さん、こんばんは!えりです。
 
本日も、ご訪問くださり、ありがとうございます😊 
 
noteにて、発信活動をスタートしてから、早、4か月…。
 
“時間の経過”というものは、本当に、“あっという間”。
 
改めて、“時間の貴重さ”を、しみじみと“実感している”今日この頃です。
 
日常の中で、“ふとやってくる絶望感”。
 
突然、それまでは、“顔を出していた太陽”に、“一片の雲がかかった”かと思うと、次第に、“暗雲が立ち込み始める”。
 
そして、気がつけば、“辺り一面、漆黒の闇に包まれ”、全く“何も見えない”。
 
自分の“目の前にある扉が、全て閉ざされ”、“一歩も、前に進めない”。
 
そんなとき、“分厚い雲の切れ間”から、差し込む“一筋の陽光”。
 
“雲の後ろ”で、“輝く太陽の存在”を、“信じさせてくれる存在”。
 
それが、今の私にとっては、
 
この“noteでの執筆活動”であり、“支えてくださる皆さん”が、“かすかながらも、確かな希望”となっております。
 
例え、雲に覆われ、その“姿が見えなくなっていた”としても、“太陽は消えることはありません”。
 
ただ、“今は”、陰に、“隠れてしまっているだけ”。
 
“時が経てば”、また、その“温かい顔を覗かせてくれる”でしょう。
 
ですので、皆さんも、“行き詰まりを感じた”とき、“八方塞がりのような当ての無さ”を感じたときは、ぜひ、「“姿の見えないもの”を、“心の片隅に置いてみる”。」ということを試してみてください。
 
「“実体のないもの”、“形のないもの”を信じる。」ということは、難しいことかもしれません。
 
本来、「“希望”や、“幸せ”というものは、それらを“生み出している”、“あなたの心の中”に、“常に、存在”しています。」
 
“太陽を覆い隠す雲”も、“いつかは、晴れ”、“日差しが差し込み始めます”。
 
私たち人間の“辛い時間”も、“それと同じ”。
 
“辛い時間は、一時的なもの”。
 
私たちは、“変化の中で生きている”のだから。
 
「ずっと、“同じ状況が続く”ということは、“ないのではないでしょうか?”」
 
なので、「“明日は、明日の風が吹く。”」ということわざにもあるように、“少しだけ楽観的”になってみる。
 
「今日は、“たまたま”、“ブルーな1日だっただけ。”」
 
「“明日”は、いや、“明後日”でも、“明々後日”、“1週間”、“1か月”かかってもいい。」
 
「きっと、“また、笑える日が来る。”」
 
と、“自分の未来”を信じてみませんか?
 
「せめて、“今日1日だけは、生きてみる。”」
 
“その1日”を“積み重ねていく”と、次第に、“雲行きも変わっていきます”。
 
「どうか、“希望だけは、捨てないでほしい。”」
 
これが、“私の願い”です。
 
さてさて、本日も、前置きが長くなってしまいましたが、いつも、お付き合いくださり、嬉しい限りです💖 
 
それでは、軽めの小話から、参りましょうか~?
今回は、いつもより、短めにお話しさせていただきますね。
 
皆さんは、“日々を生きる中”で、こんな“瞬間”はございませんか?
 
「“自分の居場所”が、“どこにもない”。」
 
「“そのままの自分”を“受け入れてくれる人”が、“誰もいない”。」
 
「いつも、まるで、“圧縮袋の中”に、“押し込められている”かのように、“息苦しい”。」
 
このような“負の感情”や、“感覚”に“襲われた経験”をお持ちの方も、少なからず、いらっしゃっるのではないでしょうか?
 
「“自分の言動”が、常に、“誰かから監視されている”。更に言うと、“自分自身”が、“自分の一挙手一投足”を、“自身で”、“監視”し、“評価”している。」
 
「“幽体離脱”をし、まるで、“映画を観るかのように”、“瞬間瞬間”を、“第三者目線”で捉えてしまう。」
 
そして、「“その場その場に応じた行動”をとることで、“自分を演じている”。」
 
こうした感覚です。
 
このような意識や行動は、一見すると、“周りを気遣う良い心がけ”として、“好印象につながる”ものだと言えますよね?
 
いわゆる“TPOをわきまえた振る舞い”。
 
“社会人なら、身につけられていて、当たり前”。
 
“必須のスキル”なのでしょう。
 
それが、“行き過ぎる”と、“自分の首を絞める”ことになりかねません。
 
常に、“実体のない強迫観念に縛られ”、“怯えるような状態”に、陥る危険性さえあります。
 
ですので、そんな“過剰適応”により、苦しまれておられる方は、日常の中で、“自己開示できる場”を設けてみましょう。
 
“ほんの少しでよい”のです。
 
何も、「“どんな場所”でも、“誰にでも”、はたまた、“いかなる状況下”においても、“自分を全開にして生きる”。」ということを言っているわけではございませんよ。
 
特に、“集団の中”で、「“常に、自分のままで”。」ということは、逆に、“居心地の悪さ”を感じてしまうかもしれませんね。
 
なので、「“この人になら!”」と、「自分が“信頼できる人”には、“見せたい部分だけでも見せてみる”。」
 
また、「“自分の部屋を、心地の良い空間に整える”。」
 
「“壁紙やカーテン”を、“自分の好きな色”に変えてみたり、“観葉植物”を置いてみたり… etc.」
 
はたまた、「“居心地の良いカフェ”や、“お店”、“公園” etc.」
 
「“お気に入りの場所”を見つけてみる。」
 
といった方法を、少しでも、参考にしていただけると、嬉しいです🌼 
 
こうして、“息継ぎができる場所”を、少しずつ増やしていきましょう~🍃 
 
そして、この機会に、ぜひ、こうした“自分が楽に生きられるアイデア”を、探索し、“リストアップ”してみてください。
 
それが、あなたが“生きるうえでのお守り”になってくれるはずですよ。
 
さて、ここまで、お読みくださった皆さん、ありがとうございます✨ 
 
お待たせいたしました。それでは、本日のメインテーマへ、入っていきましょう~!
 


「“表現”が、私を“生かしてくれた”。」どんなときでも、“寄り添ってくれた”私の“一番の心友”について

私は、“物心ついた頃”から、“つかみどころのない孤独”や、“もどかしさ”、“違和感”が、常に、“心の片隅に存在”していた。
 
そして、“集団の中に身を置く際”、その存在が、“より濃く”、“顕著に現れる”のであった。
 
その“正体不明の住人たち”に、“押しつぶされそうになる度”、
 
“逃れるように”、“自分の世界をつくり”、その中に、“没入”していた。
 
今、振り返ると、「そうした、いわゆる“現実逃避”ともとれる行為の中でも、私が、“一番、夢中”になれたのが、“自分を表現する”という方法であった。」
 
と、気づかされた。
 
少し、“大袈裟”かもしれないが、「“表現すること”によって、“自分は、生かされている”。」と感じるくらい、私にとっては、“寝食に並び、必要不可欠な存在”であった。
 
“初めて、夢中になった”のが、“読書”、そして、“日記を書くこと”。
 
“読書”といっても、「“絵本”や、“図鑑”のページを、ペラペラと捲っては、“新しい世界との出会い”に、“胸を躍らせていた”。」
 
“日記”に関しても、然りで、「きちんとした文章を書くというよりは、ほとんど“落書き帳”のようなもので、“花”や、“猫”、“友だちの顔” etc.」
 
“思いつくまま”に、“自由”に、“頭の中に浮かんだイメージ”を、“ただ描いていた”。
 
その後は、“音楽”、“ダンス”、“演技”、“英語” etc.
 
“瞬く間”に、“表現・創作”の世界の“虜になっていった”。
 
こんな調子で、いつも、“心此処にあらず”といった状態。
 
どこか、“物思いにふけっている”ような子どもであったからか、周囲からは、“不思議ちゃん”という“あだ名”で呼ばれることもあった。
 
当時は、“一抹の寂しさ”はあれど、“同年代の子たち”と、“感覚がズレていて”、少し変わっている自分のことが、特に、“嫌いというわけではなかった”。
 
そんな“ちょっとズレてるところ”も、割と“気に入っていた”し、むしろ、“ちょっとした特別感”を抱いているくらいであった。
 
そして、何より、“自分に自信があった”。
 
しかし、こうして、“空想の世界に逃げ込む”ことで、“守ってきた自己肯定感”に、“大きな大きなひびが入る”ときがやってくる。
 
その日は、“何の前触れもなく”、“突然”、やってきた。
 
高校1年の夏、“クラスの中心にいた女子”に、“嫌われてしまったのだ”。
 
きっかけは、本当に、“些細な事”。
 
体育祭の競技中の“不慮の事故”により、“相手に怪我をさせてしまった”のだ。
 
当然、“お互い負傷した”のだが、“一方的に”、まるで、「私が、“加害者”であるかのように、“全責任を突き付けられた”のだ。」
 
勿論、「申し訳なかった。“自分のミスのせい”で、巻き込んでしまった。」と、“誠意を込めて”、相手には、“頭を下げ続けた”。
 
しかし、相手は、こちらの言うことに“耳を傾ける気は一切なく”、「“自分だけ”が、“被害者”である。」という主張を続けた。
 
仕舞いには、「“クラス中”に、私が、ろくに、“謝罪もできない酷い人間”だ。」と、あることないこと、“言いふらされる”展開となったのだ。
 
このとき、“一番、悲しかった”のが、“自分の声を信じてくれる人が、ほとんどいなかったこと”。
 
特に、“担任の先生に、信じてもらえなかった”ことが、“大きな傷”となった。
 
「この世界に、“自分の味方は、誰ひとりとしていない”んだ。」そんな“絶望”、“深い深い哀しみ”を味わった。
 
こうして、心に、“癒えぬ傷を抱えたまま”、大学へと、進学することに。
 
進学先の大学は、“親の希望を優先”し、決めたこともあり、学部の勉強には、“あまり興味が持てず”、“学業に、身が入らなかった”。
 
“サークル”や、“バイト”など、これと言って、“特に打ち込めるもの”もなかったため、ほぼ“抜け殻状態”で、“鬱々とした大学生活”を送っていた。
 
更に、“根底”には、“強い人間不信”がはびこっているものだから、当然、“人間関係を築くこともままならず”、できた“友人”は、“ピースサインに収まる”くらい。
 
この“後遺症”ともいえる“古傷”が、“混沌とした毎日”に、“拍車をかけていった”。
 
そんな“毎日に、変化が訪れた”のが、“フィギュアスケート”との出会いだった。
 
“幼い頃”、テレビ画面に映し出された、“荒川静香さんのイナバウアー”。
私は、それ以来、“フィギュアスケート”の“魅力の虜”となった。
 
“辛いとき”、“氷上で、優雅に舞う選手たちの姿”に、“何度も、心を救われた”。
 
“そんな姿を観ていると”、“自分も、どこかに、羽ばたける”気がした。
 
とはいえ、“フィギュアスケート”に関しては、“小学生時代”に、“地域の活動”で、“遊びで滑っていた経験のみ”。
 
“ほぼ未経験に等しいレベル”。
 
特に、“運動部での経験もなし。”
 
あるのは、“フィギュアスケートが、とにかく大好き!”という“情熱のみ”。
 
こんな誰が見ても、“無茶な状況下”で、「私は、“飛び込んだ”。」
 
“3回生からの入部”ということもあり、“あまり、前例もなく”、“続けることは、容易なことではなかった”。
 
“同期は、ほぼ、年下ばかり”。“モチベーションを保つのにも、一苦労”した。
 
“体力的”にも、“技術面”でも、“2年のブランクを埋める”ことは、“並大抵の努力では不可能”だった。
 
“周りから、馬鹿にされた”りもしたが、それでも、私は、“スケートを諦めなかった”。
 
幼い頃、“脳裏に焼き付いたスケーター”のように、「“ただ、美しく、自由に滑りたい!”」
 
“その一心で”、“来る日も来る日も、滑り続けた”。
 
そして、“卒業のときを迎えた”。
 
最後には、「“ジャンプはできない”けど、“スケーティングだけは、上手な人”。」になっていた。
 
“フィギュアスケート”と出会ってから、それまで“灰色だった学生生活”が、少しずつ、“色づき始めた”。
 
“ゼミ活動”などで、“苦しいことがあっても”、一度、“リンクに足を踏み入れたら”、“痛みも忘れられた”。
 
そこに、広がっているのは、“真っ白な銀白の世界。”
 
“澄み切った空気”。
 
“頬に感じるひんやりとした冷たい風。”
 
“エッジが、氷を削る「シュッ!」っという切れのいい音”。
 
“ちょっとした非日常”。
 
“日常”で、“どんなに辛いことがあっても”、「ここに来れば、“自分を解放”でき、“息を吹き返せる。”」
 
そんな“特別な空気感”が、私は、“大好き”だった。
 
そして、“フィギュアスケート”を通して、“様々なことを学んだ”。
 
“投げ出さず、地道な努力を積み重ねること”
 
“先輩、同期、後輩、異なる立場の人との人間関係”
 
“人との距離感のとり方”
 
“自分の魅せ方”
 
何よりも、“大きな収穫”は、“自分以外の誰か”と、“協力”して、“ひとつのものを創り上げることの尊さ”
 
これが、私が、“フィギュアスケート”という一種の“自己表現ツール”を通して得た、“最大の学び”だ。
 
「“表現”は、ひとつの“共通言語”である。」
 
私は、そう思う。
 
「“人と人とを”。“個人と社会”を、“繋げてくれる”。そんな“架け橋のような存在”だと。」
 
「そこには、“何の壁も、境界も存在しない”。」
 
「“国”、“性別”、“年齢”、“ハンデ”。」
 
「“誰でも”、“いつからでも”、“どんな形でも”、“始められる”のだ。“情熱さえあれば”。」
「“どちらが優れているか”といった“競争ではない”。」
 
「“あなたの表現が響く誰か”が、“どこかには必ずいる”。」
 
「そんな“フラットな世界”。」
 
それが、私が、“表現を愛する”理由だ。
 
さてさて、本日のお話は、ここまで。
 
本日も、最後まで、お読みいただき、ありがとうございました👐 
 
つい、“熱く語ってしまいましたが”、お付き合いくださり、“胸がいっぱい”です😢 
 
この頃は、“雨がち”で、“天気がぱっとしない日”もありますが、“お日様に会えるのを楽しみに”、今は、“のんびり”と、“パワーを貯めて”おきましょう🌞 
 
それでは、また、次回、お会いしましょう~👋 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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