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今年のテーマは流になりそうだなという予感のように、今年前半も流れのままに旅をしてきました。

文字通りの旅行から、学びや自分の内側への旅を。そして7月も終わろうとしている今、マウイ島からニューヨークへの飛行機の中でこれを書いています。

旅行というのは、たいていは何か目的があるものです。少なくとも多くの人にとっては。前回の訪米でも帰る日を決めずに来ていて、一見流れのままにノマディックな旅のようでしたが、それでも初めから滞在先は決まっており、その場所に行く目的もざっくりとありました。

でも今回は、ほんとなぜ旅に来ているのか正直自分でもよく分かりません。

「ハワイに行くんだ」といえば、「いいねーハワイ!どれくらい行くの?」となり、これが1週間程度であれば、「バケーション楽しんでね!」となりますが、「2ヶ月くらい」と言うと、「え?すごいね、何しに行くの?」となります。

そこで、私もはたと「何しに」行くんだっけ?と考えるわけですが、特に「何しに」行くわけでもなく、マウイの自然の中にひたすら埋没し、体を動かし、食べて、寝る、という生き物の営みをするだけです。もちろんマウイやハワイにいる友人達に会い、ともに時間を過ごすのも理由ではありますが、目的となると「人間らしい感覚や生き生きとした感覚に戻るため」「滝や海に入り、コキの鳴き声を聞き、自然との一体感を取り戻すため」と言えるかもしれません。

人間にもいろんなタイプがあり、目標や目的を持ってそれを達成していくのが好きなタイプ(目的重視型)、一方目標達成よりもプロセスを楽しみ、達成しなくてもハッピーでいられるタイプ(プロセス重視型)があります。

どちらがいい悪いはありませんが、目的重視型の方が社会的に「成果」や「結果」を残しやすく、効率もよく、生産的と言えます。一方で常に次を目指して動いていくので、イマココの満足感は低いかもしれません。

そして現代社会、先進国と言われる国々では目的重視型の方が承認されやすく、こちらの在り方の方が主流、常識となっているのかもしれません。

だからこそ、何をするにも「何のために」という理由が必要になってきます。だからこそ「何のために」生きるのがと悩んだりもしますし、好きなこと、単純に魂が喜ぶことをするのにも「好きだから」「楽しいから」「幸せを感じるから」以外に何か理由をつけなくてはいけない気がするのではないでしょうか?

私は典型的なプロセス重視型の人間だと自分で思っています。

例えばお買いものに行っても目的の売り場に直行せず、全部のコーナーをいちいちチェックしますし、次の予定があっても、ついつい目の前の人の話やその人との時間を優先して、途中で切り上げることが難しく感じます。

その割に本や映画は先に結末を知りたいタイプですが(笑)

留学をした時も、周りの人に説明するのに「何のために」を一応作っていましたが、話しながらも、実際の感覚との乖離をいつも感じていました。別にそのために行くわけじゃないんだけどね…と内心思いながら…

プロセス重視型だと、確かに締切を守るのが難しかったり、何かを達成する必要がるあることをやり抜くのが難しいことがあります。そう言う場合は、割り切ってその仕事であったりやらねばならないことを達成するための短期のゴールを設定してクリアしていくと、途中でゴールを見失わずやり抜くことができます。(私の体験ではですが)

でも、プロセス重視型の人間が、常に「何のために」がなければいけないと思い出すと、なかなかにシンドイなぁと思います。「何のために」を無理矢理作っていると、最初のワクワクするやりたい!のエネルギーから離れて行きますし、理由がなければやってはいけないと思い込んでしまったりします。そして、「何のために」はロジカルなので、ハートより思考からやってくる声です。常に「何のために」を探そうとして、思考の声ばかり採用していると、だんだんにハートの声を受け取るのが難しくなってしまいます。そうなってくると、達成による快感は感じられても、ハートが弾むようなキラキラとした喜びも感じにくくなってきます。

思考とハートのバランスを取ることはどの型の人間にとっても大切だと思っていますが、特にプロセス重視型の人は、理由はないけどやりたい!なんか知らんけど好き!なんか知らんけど楽しい!に応えて行動するのがとても大事だも思うのです。

だからこそ、私は何のためにかは分かりませんが、旅をし、自然の中に埋没する、この時間を楽しみ、なぜ?と浮かんできても、きっと後で分かるだろうと想いながら味わっています。

2022/07/30

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