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#4 母の日に寄せて ヒロインの旅と母娘の分離

母の日に外を歩くと、花束やプレゼントと思しき袋を抱えた人を沢山見かける。私は大学生のころ、お花屋さんでアルバイトしたこともあり、母の日前になると、配送のアレンジメントやブーケ作りや花束用のリボン作りに明け暮れ、前日と当日もひっきりなしにお客さまが来る、一年で一番忙しい時期だった。

一年に一度、全国的に母がフォーカスされる日。
バレンタイン以上に女性が大切にされる日と言えるかもしれない。

1.母の日の起源

女性は日本でも海外でも、中世以降、近現代では社会的地位も低く、母親はこのように公に感謝される対象ではなかったのではないか?と起源が気になってWikiさんに聞いてみた。

Wikiさん曰く、世界各国に母の日はあるものの、国によって起源や日にちは違うようだ。日本の母の日はアメリカのものに倣って昭和24年ごろから5月の第2日曜日となった。そのアメリカでの起源は、南北戦争時に敵味方問わず負傷兵の衛生状態を改善するために地域の女性を結束させたアン・ジャービス(Ann Jarvis)の娘、アンナ・ジャービスが、母の死の2年後に亡き母親を偲び、母が日曜学校の教師をしていた教会で記念会をもち、白いカーネーションを贈ったことが始まりとされる。

2.母の日の葛藤

私自身、子供の頃から母の日にはカードとお花を贈り、感謝の言葉を綴ってきたが、今年はなぜか単純に「ありがとう」という事が、しっくりこなかった。

習慣的に母の日だから、「いつもありがとう」と言っていいのだろうか。一体何に対して「ありがとう」を伝えたいのだろう?と。

同性の親子の関係は、なかなかに難しい。
特に娘が成長するに従い、友だちのようになる場合もあれば、母親を否定し離れて行く場合もある。ジョゼフ・キャンベルの「英雄の旅」からインスピレーションを得て書かれた「ヒロインの旅」でも女性は人生の旅において、一度は母親、そして自己の中の女性性を否定し分離する時期があるという。それは自分の母親という個人だけでなく、「母たるもの」のアーキタイプからの分離でもある。

男の子の場合、母親からの分離は簡単だ。母=女性性との対比によって、自分の男性性を養う。しかし、女の子は無意識に母を自分のモデルとし、自分と重ねて育つので、そこから自分を切り離し、自立しようとする時に、大きな不安や孤独に襲われる。それでも、自由に生きるには一度は母から分離をする必要があり、そのために多くの場合、娘は母親を悪者にする。自分の中の見たくない、認めたくないものを母の中に見ようとする。そして「母のようにはなりたくない」と思うが、これは自分の中の母性の否定でもある。

私の場合は、長らく母との距離が近く、完全に否定し分離したことはなかった。しかし、自己と母を分離しきれないままだと、本当の自分に出会うことは難しい。逆に言うと、本当の自分に出会い始めると、母との分離が始まるのかもしれない。

どちらにせよ、私の人生の旅において、遅ればせながら現在進行中で自分の中での母と自己との分離が進んでいる。それと同時に、「母たるもの」「女性性」の象徴する「ただ在るだけでよい」感覚を取り戻しつつもある。

分離と統合。

これが同時進行しているために、どうも単純に「ありがとう」を伝えにくいのかもしれない。

3.素直なメッセージを伝える

そこで、この今年の母の日には、この気持ちを素直にそのまま伝えることにした。

ありがとうって言うのは簡単だけれども、今年は単純にありがとうとは言えない。あなたは私の理想としていた母親像からは離れていて、こうしてくれたらいいのに、こうじゃなかったらいいのに。。と不満に思う事も多かった。でも、あなたが私を受胎し、この世に送り出してくれたこと。そしてあなたと私が母娘であること。それは何億分の一、又はもっと小さい確立のすごい奇跡。

だから、あなたがどんな母親でも、何をしてくれても、してくれなくても、私のお母さんでいてくれること、それだけでありがとう。

私の母であってくれて、ありがとう。

私の言わんとしている事が、どれだけ伝わったかはわからないし、理解するしないは問題ではない。今感じることをそのまま伝えられた軽さを感じている。

05/10/2021

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