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【学校創り日誌】学校創りに踏み出したわけ:立志編

これ、順番でいうとVol.1とかVol.2とかで書くはずのものですね(笑)
今更になってしまいましたが、自己紹介を兼ねて書かせていただきます。


まさか自分が

私は、自分が学校を創ろうと実際に動きだすなんで、ほんの半年前までは露ほどにも思っていませんでした。
目の前のプログラムを運営するのだっていっぱいいっぱいだし、英語なんてやっと使えるようになってきたところだし、子どもも小さくて、とにかく目の前のことに手いっぱいだからです。

とはいっても、思い通りにならないことを分析したメモがあったり、「こんな学校あったらいいな~」と同僚同士で話すこともあったので、イメージはありました。

頭の隅に溜まっていった気持ち

学校経営者・管理職の仕事とは

同僚との会話でよく出てくるのが「現場のことをわかってない!」という管理職に対する愚痴でした。
被雇用者あるあるだと思います。

特に、あまり管理職が現場に顔を見せないのに、会社(学校)の方針ばかりを押し付けてくると感じるようになるとこういう関係になるのです。
でも、経営者も管理職も自分の仕事があるもの。
いつでも学校にいれるわけじゃないというのは、みんな重々承知だと思うのです。

けいえいしゃー
名前は知ってるけどー
かんりしょくー
何をやってるかは知らないー。
(ニッシンボー風)

↑なので、興味関心として何してるのかなとは常々思っていました。

脳裏にチラつくうちの子の将来

長男が3歳になる頃までは「うちは日本人家庭だし、英語も必要になったらしてみればいいし、良い意味で多様性にもまれることになるだろうから公立ルートでおっけー」と漠然と考えていました。

でも、長男の好きなものや、嫌いなことが見えてくるにつれ、「本当にそれでいいの?」と思うようになったのです。

嬉しいことに、今の勤務校はとても先生方のチームワークがよく、「こんな学校、先生方に息子を教えてほしい!」と思うような学校です。
できることなら通わせてみたい!(でも遠すぎるの!!!!)
国内の私立高も多種多様ですし、小学校インターも色々できてきています。
見学に行けば、きっと息子の興味関心、性格にぴったりとくるような、息子が「ここでお勉強したい!」というような学校があるんじゃないかと思うようになりました。

でも、秦野から通える範囲(しかも私たちが送迎に付き合える範囲)に学校がない…
英語は触れておくにこしたことはないけど、それよりも日本語でできるようになってほしいこともたくさん…(インターはどうしても日本語後回しになりがち)
まずは小学校の見学行きたいけど、入学直前じゃなきゃだめなの!?

と、色々と息子の教育に関して「???」「!!!」となることがちらほらでてきたのです。

憧れの学校生活、大好きな仕事場

息子の教育について色々考える理由は、自分のルーツにもありました。
かつて、私もインターナショナルスクール通ってみたかった子どもだったのです。

でも、お金かかるらしいし、そもそもどこにあるのかわからない。(当時はインターネットも今のように自由に使えなかった)
テレビなどのメディアでたまたまインターナショナルスクールについての特集や情報に触れることがあると、自分も行ってみたいという気持ちがしばらく忘れられなくなるほどでした。

縁あってインターで勤務するようになり、色々大変なことはあるけれどやはり羨ましい、私も通ってみたい、と思う気持ちは今でも頻繁に感じます。
教師として悩ましい部分も、生徒として通ってみたいと思うからこそ乗り越えようと気合いが入るのです。
だからこの仕事が大好きで、できる限り続けていきたい。

でも、先ほどと同様、秦野周辺の通える範囲にインターが無い。
なので、片道2時間かけての仕事。近くに職を探すにしても、1時間はかかる距離間。
子どもを育てながらインター日本語教師を続けることにちょっと限界を感じています。

私のキャリアとは

インター日本語教師を続けたいとは言ったものの、この先何十年も片道通勤2時間を続けることは難しいです。
しかも、インターに限らず日本語教師の仕事はヤクザな仕事…。
インター狙うならポストは少なく、求められているスキルや仕事内容を考えるなら待遇も決して満足できるものではありません。

次男の育児休業の間、ふと考えました。
「私はこの先、どんなキャリアを歩んでいけばいいんだろう。」
「私は、10年後も、20年後も、この学校でずっと日本語を教える仕事をしているのかな」

教育について考えたり、どうしたら子どもたちが学習することに楽しさを覚えてくれるかを考えることが大好きで、生徒たちと日々やり取りをすることも大好き。でも、それだけでいいのか。
さらに、片道2時間に慣れてはきたものの、子どもたちと過ごす時間の短さに虚しさを感じる日々。

自分の子どもたちの成長も見届けながら、キャリアも諦めたくない。
答えはどこにも転がってはいないようだ
と思っていました。

背中を押された一言

そんな気持ちや考えをモヤモヤと持ち続けたまま、育休から復帰しました。
学期途中での復帰となったので、先生方のサポートをしながら自分の仕事を進めていました。

同僚の一人に、自分の母と同じくらいの年の方がいます。
日本語教師歴があるだけでなく、職歴も幅広く、ご自身も国際結婚をして子どもたちを育て上げたというスーパー大先輩です。
ある時話の流れで、その大先輩に思わずポロリと「自分で学校をつくってみたい」と漏らしたことがありました。
実は「大変よ~(笑)赤ちゃん生まれたばかりだし、今をがんばれ~!」と笑い飛ばされるかと思っていました。
でも、『やっちゃいなさいよ!子どもを育ててる時が一番エネルギーあるのよ!』と言われたのです。
心底驚きました。

そこで、今まで心に溜めていたことや、頭にあるアイディアについて話をきいてもらいました。
もともと同じ仕事をしているだけあって、課題に思っていることについては理解をしてもらうことができ、アイディアについては社会の経済の動きなどを解説してもらいながらコメントをもらったりすることができたのです。
この時、私のアイディアって話してよかったんだ、こんなに色々な話をしてもらうことができるんだと、心が支えられるような気持になったのでした。

私はもともと、やりたいことがあっても自信がないので思うだけで終わりというタイプです。
でもその方には、私にはこれを成し遂げるだけの何かを持っていそうだと見えていたそうです。
「やりたいと思ったなら、実行に移さなきゃ。いつかと思っているうちにこの年になっちゃって気力も体力もなくなっちゃうのよ」
「チャンスは待ってても一生来ないわよ。いつやるの?今でしょ!ってやつよ!」

などと、あれやこれやと励ましてもらったり、知らない分野の情報やアドバイスをもらううちに、なんだか自分でもできるような気持になってきたのです。

おわりに

こうして、今に至ります。
「どうして学校を創ろうと思ったのか」に対する答えについて、こうした小さな思いの積み重ねのためになかなか一言で表すことができません。
今はそれでいいのかなと思っています。

私の小さなもやもやの積み重ねから生まれた何かが、子どもたちに、地域社会に、何かをもたらすことができるようになれば一番うれしいです。

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