見出し画像

振り返りをするよ、インディペンデント

先日Independent Tokyo2021に参加した。イベント自体はかなり久しぶりで、アートイベントは初めてだった。

人の流れがあるところでそこにいると、見向きもせず流れていく人と足を止めて見てくれる人が本当に顕著に表れる。
その中で得られるものの大きさは分かっているので、私のような立場の描き手は経験すべきと理解しつつ内心は超絶怖かった。
機会やタイミング、見てくれた方や、見守ってくれている方などに心から感謝している。


作品を見てくださった方々から言われた印象的だった言葉について綴る。

……
動いているように見える。ストップモーションの一コマを切り取ったよう。
人物なのに人物画でないみたい、不思議な感じ。
優しい、柔らかい。

など。

これらは第三者の言葉で聞くことにより、描き手と受け手の差の答え合わせをするようである。
見る側各々がどのように受け取るかは自由である。
だが、喜怒哀楽をそれぞれ人に抽象表現させたときに共通性が見られるように、その物がもつ特性のようなものはある程度の共通性が見受けられ、客観的に自分を知ることができる。

驚いたのは、向かいのブースで搬入時からずっと見ていてくれていた作家の言葉だった。
彼女は私の作品から浮遊感、飛翔感を感じると言った。
そこにあると思ったら次の瞬間どこかへ行ってしまいそうだ。
いっぱいになったものが止められず溢れている。などと言う。

「飛翔」という言葉は私にとって全く初めての感覚だった。
私は自分の絵がどこに届いているのか、良いと思ってくれる人の層や共通性が分からないという話をした。

すると彼女は、この絵に足を止める人をひとくくりに「この層」ということはできないだろう。
なぜならそれは見た目には共通性がないから。
敢えて言うとしたらそれは色んなところへ行くのが好きな人、飛ぶのが好きな人。
職業でいうならばパイロットやキャビンアテンダント、宇宙飛行士、などではないか、と。


私はその言葉に身震いした。
なんという見方をして、なんと的確に言葉で伝えてくるのだろうか。
ねぇ、元恋人は飛びまわる天文学者だったよ、と口走りそうになり言わなかった。
その思考へすぐ結びついてしまった自分にまた身震いしたからだ。
(そしてこんなことを書いていると唐突にHi!なんて連絡が本当に来てしまったので身の毛がよだつdon’t focus on the past切実..)

浮遊感を表しているという自覚はある。
軽さ、幾層にも重なる次元のレイヤー、目に見えていないが漂っているものなどを表現したいという思いはある。
けれども元々は浮遊に対し肯定的な捉え方をしていたわけではない。
感覚が朧げで白昼夢をみているように世界をぼかして見ている。
足が地についていない危うい状態。
そこからくる浮遊感、ゆらぎ、ブレである。
私はそれを拙さや幼さのような側面として捉えている。
ところが私はとうとう飛んでいるのだろうか。

別の方にどうして羽が多いのかと聞かれた。
見る人によってはあれもこれも羽なのだと、これも新しい発見だった。
展示していた作品の一つに、制作時、線を引いていると羽のような形状が見え、羽を少し意識して描いたものは確かにあった。けれども他の作品に私は羽を意識していなかった。
それは飛翔に結びついてくるものかもしれないと思った。

私は見る人が何に見えても良いように少しだけ形に余裕を持たせているつもりだ。
それは私自身が描きながらパレイドリアを楽しんでいるという側面からきている。
羽らしい何か、花らしい何か、くらいに形を記号化して具象を崩している。

「飛翔」と言ってくれた彼女はもっと色々に伝えてくれた。私は彼女の言葉に終始救われ、ちょっと泣きそうになった。
それは自分の深いところで私だけが理解して言い聞かせているようなことだったからだ。
私が今回このイベントに参加した目的は彼女からその言葉を聞くためだったのではないかと思う程だった。
あれらの言葉がなかったなら、私はイベント出展に対しもっと表層だけを捉え結果落ち込んでいたかもしれなかった。

彼女は数少ない根っからのナチュラルアーティストだ。
作品に対する姿勢やものの見え方、捉え方、
そしてそれを力強く表現する能力があり、けれども見るものにのしかかってこない、圧倒的な存在感を放っている。
ああ、こんなにも近い距離感で本物に会ってしまった、と思った。

私にはない素質である。私はその感覚を持っていないことを幼少期から自覚しており、だからこそ純粋画家になろうと思ってこなかった訳である。
それが羨ましいとは思わないが、ただ尊敬する。
彼女のような人をアーティストと言うのであって、私のようなポジションは何なのだろうということは常に考える。
けれどもその答えは歩き出しの地点で分かるはずのないことである。
今回を経て私はスタート地点に立てたかもしれないと思う。

似たような物の見方をして描いている作家にも会えた。これはいそうで、実際多くいらっしゃるだろうが、これまであまり会えていなかったので嬉しい。
もう少し伸びやかに物事を見て調和を取り、続けていくだけである。
ひとつの良い経験ができたのだと思う。

ありがとう

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?