映画レビュー「わたしは、ダニエル・ブレイク」
洋画の日本語タイトルはやはり映画の本質を表していない。
“I, Daniel Blake”を『わたしは、ダニエル・ブレイク』にしたのは単なる直訳なだけまだマシな方だとは思うけど、どう考えても雰囲気はちがってる。
昨夜でアマゾンプライムビデオのプライム特典としての配信が終了ということで、滑り込みで観た。2017年の映画なのでもちろん評判は耳にしていたのだが、痺れた。何度も後頭部を殴られた。
主人公のダニエルは大工歴40年のベテランだ。心臓を患ってしまい、ドクターストップがかかっているので働くことができない。手当を受けていたが担当者の判断で給付が止められてしまう。この審査のやり取りで映画ははじまる。
「介助なしで50メートル歩けますか?」
「目覚ましをセットできますか?」
「大便を漏らしたことは?」
自分は心臓が悪く医者から働くことを止められているだけで、その他の生活に支障はないといくら主張をしても、その話は聞いてもらえない。担当者は膨大な質問項目を淡々とこなし、それにあった答え以外のものは求めない。
給付停止について問い合わせるために審査結果の用紙に記載されていた電話番号にかける。機械音声によって別の窓口の番号を案内される。繋がらない。2時間近くもコールし続けてようやく繋がった。再審査を受けるにも不服申し立てもをするにも担当者からの電話を待て。再審査で同じ結果が出ると二度と申請できなくなるので、求職者手当を受けた方がいい。
それでは仕方がない、と職業安定所に足を運ぶと、病気では求職者手当を受けられないので他の課を当たるように言われる。なんだよこのたらい回しは・・・と。どの国でも同じなのかな、いやそんなことはないはず、少なくとも日本ではこんな感じだろうなと、映画冒頭にもかかわらず観ているこちらもぐったりしてくる。とはいえ私自身には職があり、健康でもあるので、こんなふうにやりたくもないことを強いられた経験は今のところほとんどない。
ダニエルがベンチでぐったりしていると、向こうのテーブルで何やら騒ぎが起きている。騒ぎというほどのものではない、幼い子供を連れた若い母親が、ロンドンからニューカッスルにやってきたばかりで道に迷い、遅刻してしまったというのだ。時間厳守なのでお引き取りをとスタッフはにべもない。
明日から学校なのに給付を受けられなかったら何もできない、と食い下がるも時間厳守の一点張り。見かねたダニエルが助け舟を出すが甲斐もなく、親子とダニエルは外へ追い出されてしまう。
これだけのことを映画冒頭の15分ほどで見せられる。私が普段の暮らしのなかで、ほとんど目にすることのないクソみたいな世界が広がっていた。貧困を目の当たりにするって辛いな、観るのをやめてしまおうかな・・・とも思った。
ダニエルは大工なので、母親(ケイティ)と子供たち(デイジーとディラン)の暮らし始めたばかりのアパートを訪れてあちこちを修理してあげるのだ。ケイティが就職活動をしているあいだ、ダニエルが子供たちの面倒を見にやってくるようになる。
電気代が払えないならと、ろうそくと植木鉢を使ったささやかな暖房装置の作り方を教えたり、窓にプチプチを貼り付けて少しでも寒さをしのげるようにしたり、デイジーには手作りの魚のモビールをプレゼントしたりと、ダニエルの温かさに感動する一方でこんな人たちが国によって虐げられているという事実に暗い気持ちにもなる。
いちばん辛かったのは、フードバンクを訪れた際にケイティが空腹に耐えきれず、衝動的にトマトソースの缶詰めを片手にあけて口に運ぶシーンだった。われに返ってパニックに陥る彼女にダニエルは駆け寄り、「きみは全然悪くない」と慰める。フードバンクにいる女性たちもケイティを落ち着かせるため水や食べ物を用意する。
ここでケイティは「生理用品はありますか」と尋ねていた。「ないわ。必要なものなのに寄付が少ないの」という回答であった。ここで手に入らなかったものをケイティはスーパーで万引きしてしまう。店の警備員や責任者は彼女の貧しさにつけこんで「自分たちは味方だ。困っているなら電話してくれ」と電話番号を渡す。
この時、もちろんケイティには斡旋されるであろう仕事が売春であることを察していたはずだ。彼女はしばらくは動かない。だが、ある晩娘のデイジーが「学校でいじめられている。靴が壊れたから。フードバンクのこともバレてしまった」と打ち明けてくる。これを機に、ケイティはあの番号に電話をかけ、はたらくことを決意する。
映画の冒頭でケイティが初めてダニエルと出会った日、紙の切れ端に書き残された「俺の番号」が思い出される。でも今度のはちがう。ダニエルはケイティを止めに行った。このシーンも辛い、どちらの気持ちも想像できるだけに・・・。
こうしている間にもダニエルの貯金は底をつき、未払いの電気料金は膨れ上がり、ついに家財道具を売り払わなくてはならなくなった。彼を気にかけてくれる人は何人かいたので、頼れる人がいなかったわけではないように思う。けれども彼は、自分から「尊厳」を手放すことはしなかった。買取業者はダニエルの大事な仕事道具を目にして「これは?上等な大工道具だ」と声をかけるが、ダニエルは「それは売らない。もうすぐ仕事に戻るから」と決して譲らなかった。
あの親切なアンさん(職業安定所にいる唯一の理解者らしきスタッフ)も自分の味方ではないと、面談を切り上げて職業安定所の壁に黒いスプレーで自分の氏名と訴えを書くシーンは気持ちがよかった。つまり、残念ではあるが、私の認識は「He, Daniel Blake」に留まったのだろう。
でも彼が書いたのは「I, Daniel Blake」。おれはダニエル・ブレイクだ。
全てのシーンを一つ一つ振り返りたいくらいに濃厚な映画だった。ただし、140分という短さはさることながら、大袈裟な演出も、派手なBGMもなかった。ただただケン・ローチ監督の怒りを感じた。そしてそれを演じ切った役者たちはすばらしかった。またいつか見返すときがくるだろう。それまでに自分には認識を改める必要がありそうだ。
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