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不妊治療にいたるまで

子どもを産むこと、親になることにさして執着はなかった。けれど、自分が子どもの頃には、25歳ぐらいで結婚して子どもを二人産むんだと思っていた。
25歳に根拠はないしロールモデルと呼べる人もいない。ただ、自分が二人きょうだいなので何となく子どもは二人かなと想像していた。わたしは鍵っ子だったことがないので、はたらきながら子どもを育てるイメージはなかった。

子どもが小さいうちは専業、小学生になったらパートタイマー、高校生になったら正社員。そういうキャリアを築いてきたのがわたしの母だ。
ホームセンターでのパートやミシンの販売など気ままにはたらいていた母は、ある時介護福祉士の資格を取り、ホームヘルパーの仕事をしたり高齢者のケア施設ではたらいたりしていた。クリニックでは始めパートタイマーとしてはたらいていたが、わたしが私立高校に通うことになると正社員登用のための試験勉強をして、合格した。
わたしは親のお金でひとり暮らしをし、大学まで通った。母のことはとても尊敬している。

自分にとっていちばん身近で深くつきあってきた母は、わたしが中学生になり「彼氏」をもつようになると、婉曲的な方法でセックスの禁止を言い聞かせてくるようになった。
人気の少ない場所で二人きりになってはいけない、もし妊娠してしまったら取り返しのつかないことになる、育てられないうちに妊娠なんてとんでもない、等々。
居間でドラマを一緒に見るとき、男女のシーンが流れるときの気まずさといったらなかった。

でも、わたしはそもそも教わったことがなかった。生殖のしくみも、ヒトの身体についても、正しく理解していたとは到底言えなかった。
生理がくると大人になるということの意味もピンと来なければ、その前にかわいがっていた犬の月経と妊娠、その後の避妊手術という機会もあったのに、教わらなかった。
生理がきて赤飯を炊かれる。金目鯛の煮付けを出される。身体の変化と実態が大きく乖離した状態であるにもかかわらずお祝いされること。あれに違和感を感じる人はきっと多数派なのではないか。

あれほど脅されたトラウマなのか、誰と何をするにしてもわたしは避妊を怠らない人間になった。一人だけ「生でないとどうしてもイケない」という人がいたので、今考えるとどうかと思うが付き合いが安定したのちコンドームは使わなかった。
しかし妊娠するリスクについてはその時々のパートナーとしっかり話し合い、結果としてトラブルはなかったので、母によるあの脅しは必ずしもマイナスばかりではなかったのかもしれない。
結婚してもしばらく避妊を続けた。結婚式が終わるまでは体調に不安を抱えたくなかったし、旅が好きだし、仕事も休みたくなかったし、身体の自由を制限されたくなかった。

わたしは昔から生理周期が安定しているほうで、ときたま早まったり遅れたりすることはあってもベースは規則的だった。生理痛もそこまで重くなく、始まる前の眠気と腰の重さだけはつらいけど、下腹部をしめつけられるような痛みはたまにしかなかった。
身体も概して健康。避妊をやめれば自然とすぐに妊娠できるだろうと思っていた。原因があるとすれば、喫煙の習慣があり、それでいていつも体調悪そうにしている夫の方だろうとすら思っていた。
避妊をやめてもなかなかできないので、基礎体温をつけてタイミングをはかることにした。元来面倒くさがりのわたしは、「今すぐほしいわけではないし、疲れてるから今月はスルーしよう」「この時期旅行に行きたいから、今月はスルーしよう」と数ヶ月セックスしない時期もあった。いつの間にか基礎体温をつけることもやめていた。

結婚するときに面倒くさがらずブライダルチェックを受けておけばよかったのだが、何せ妊娠願望がなかったので先延ばしにしていた。
夫は「できれば子どもはほしい。けど、できなかったらそれはそれでいい」という意見の持ち主で、自ら率先して動くということもない。真剣に取り組んでいるわけではないとはいえ、避妊をやめて1年以上経っていれば「不妊」に該当するのだということを知ってモヤモヤしていた。

子どもを二人産んでいる妹も、母も、医療従事者であり、誰が妊娠中だとか誰が出産したとか、誰が不妊治療をしているとかの話題はカジュアルに出てくる。
「わたしたちはものすごく子どもがほしいってわけじゃないから、どっちでもいいと思ってる」
「けど少しでも考えてるなら早いほうがいいよ」
それはそうなのだ。

2022年4月から、不妊治療の一部が保険適用になった。その後押しを受けたわけでは必ずしもないが、通いやすそうなクリニックを探して予約のための電話をしたのが4月中旬頃だったと思う。

予約希望の旨を伝えると、確認するので少々お待ちくださいと言って保留音が流れはじめる。
いったいどれくらい経っただろう。保険適用のせいで混んでるのかなと思いながら待っていたら、お待たせしましたの声が聞こえた。
直近の予約は6月だという。せっかくその気になったのにと残念に思いながら、治療開始が延びたことに安堵しながら、6月を待った。


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