日本の短編小説を読む③ 埴谷雄高作 虚空
HOWS短編講座への参加も3回目となった。埴谷雄高を読む機会はこれまでなかったので、今回もまた貴重な出会いとなった。あたらしい作品と出会うチャンスをいただけていることにふつふつと喜びをおぼえる。
講座の参加メモを残しておく。
以下の引用は全て埴谷雄高「虚空」(現代思潮社、1960年)
埴谷雄高
雑誌「近代文学」同人の一人で、代表作は「死霊」(未完)。戦後まもなくから半世紀余りのあいだ取り組んでおり、生きているうちに完成しなかったら誰かに乗り移ってでも書くと言った哲学的、観念的、形而上的小説。これに加えて短編小説5篇が彼の創作作品である。
心境をあらわしたエッセイや、私小説的な作品も7〜8冊書いているが埴谷はそれらを小説の枠の中に入れなかった。もっと別の表現がありえたならば、自分の作品は小説の枠から抜け出るだろう、小説という形式を捨て去っても惜しくはないと言っている。
「虚空」
エドガー・アラン・ポー「メールシュトレームの大渦」に匹敵する小説を書こうという、花田清輝とのやり取りから生まれた埴谷の「虚空」。小説の舞台は台湾で、作者の植民地問題への意識が背景に引かれている。
台湾で生まれた埴谷は、地元民への日本人による差別を目の当たりにしたことで、自分が日本人であることに嫌気が差し自同律の不快、つまり私が私であることの不快というテーマを掴んだ。
(現在、台湾人は日本人によって近代化されたことに感謝の念があるという人がいるけれど、支配者の側からいうべきことではない。日本人として生まれたからには死ぬまで考え続けなければならない問題だろう)
彼女は一語づつ区切って、はっきり繰返した。私達と同じ言葉を教えられてその他国人の前で発音する羞恥が伏目になった彼女から悲しげに響いた。
帝国主義は博物館をつくりたがる。主人公は博物館の展示室で、島の山岳地帯の地殻の模型を見出す。背を伸ばし、椅子に乗り、鷹がhoveringするように両手をひろげ、真下を見下ろした。支配者の目線ではなく自然の一部になったことを想像したのか。
私自身より私を生んだ条件自体にかたよった関心をもっている私
I am I. という自らを全肯定しうる解釈は確かに傲慢というか、身の回りの環境を無視している。スペインの哲学者オルテガは、「大衆の反逆」のなかで “私は、私と社会を含むすべてのもの”というふうに”I”を定義しているが、この定義を突きつけられたときに異論を唱える人はどれくらいいるのだろうか。これは革命のための観念とのことだが、現実は後からついてくる・・・なるほどと思った。
埴谷は、制度のみ変えても何も変わらないというペシミズムから出発し、表現すること、論理の力で思索、創作を行った(詩と論理の結婚)。
薄白い光が真上からさしてくるジャングルの隅に凝っと息をひそめている貴方には、こんな私が、虚空を覆って聳えた巨木にのぼりかかっては落ちる一匹の不格好な蟻ほどおかしく思われるでしょう。それは天空へつきぬけてしまうことはおろか、虚空に聳えた巨木の先端までものぼれないさまです。けれども、私は思いつづけているのです。この自然や歴史の幅からいかにかして遁れられぬか、と。一匹の不格好な蟻となって地上を這っているとき、私はそのことばかり思いつづけて、そして、地上の蜜に気づかないでいるのかも知れません。
もちろん、私は、私が自身のなかに生みだしたものは、この自然への凝視から出発していることを認めます。私の前には、恐らく、ひとつの核がある。
作者が描く垂直の精神のイメージとは、「私は一匹の尺取虫だ」というものだ。尺取虫が地面を這っていくと、その先に一本の棒が立っている。尺取虫は自分が垂直方向に棒を上りはじめたことに気づかないだろう、そして棒の先端に到達してもなお先へ上っていこうとするだろう。しまいには棒の方を伸ばしてしまう。これが革命だというのだ。痺れました。
「虚空」では、上記の引用のように、自分が蟻になったことをイメージしている。そしてシャン地方の密林で倒れる一本の樹のイメージがある。「たとえ根元から倒れても虚空につきたつ以外にはない私の自覚」。
((もっと高くなければいかん))と、私は胸のなかで呟いた。
私はこの紗帽山があたりの山からそそりたって聳えていなければならないと考えた。((たとえば、あの天空へ垂直につきたったベロニーテのように、そこに天空しか見えぬ高さへまでのびあがっていねばならん))と、私は呟きつづけた。
講座のなかでこの部分が引かれたことで、私は埴谷雄高のビジョンに触れることができたのだ。
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