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「またご飯でも!」を、もうひと押しすると関係が進展すること。

「今日の授業は、ちょっといつもと違うことを話しますね。みなさんは、人とばったり会う、人とネットで久しぶりに何かしらやりとりする、ずっとお話したいと思っていた人と話せる機会ができた、なんてときの別れ際、もしくはやりとりの最後の部分で『またご飯でも!』なんていう挨拶をしたことありませんか?」

僕の問い掛けに対して学生が答えます。

「ごはんには誘わずに、シンプルに『またね』と挨拶することが多いかもです」

「確かにみなさんは『またね』の方が多いかもしれませんね。
でも社会人になると、なぜか『ご飯』がつく事が多くなります(笑)
そんな『またご飯でも!』の挨拶は日常茶飯事なのですが、実際にその後にご飯に行く確率は実はとても低いものです。

『またご飯でも!』は、形式的な言葉でもあります。
でも本当に再び機会を設けたい場合は『こんどまたご飯でも!え〜っと、来月後半の夜のご都合いかがですか?』とその場で次の約束をとってしまえばいいのですが、なんだか相手にガツガツして見られるんじゃないか?と考えて気が引けるとか、もう少し時間をおいてから改めて誘おう、なんとなく。
とか。そんなことを考えてしまいがちです。

せっかく『またご飯でも!』と軽くアクセル踏んだのに、その後もういちどアクセルを踏むことなく失速していくみたいな。もしくは、朝の駅のような大勢の人の流れの中に自分と相手がいて、せっかく近くにいたのに『またご飯でも!』と言って一瞬油断したばっかりに、自分は人の流れに巻き込まれ、相手が小さくなっていくみたいな儚いイメージのような。。。とにかく、この次の約束をその場でとりつける『もうひと押し』ができるかどうかが大事なことです。

これまで僕にも幾度となく『またご飯でも!』なシーンがあったのですが、勇気を出して『もうひと押し』をした結果、後悔したことは全くないのですが、『もうひと押し』をせずに後悔をしたことは何度もあります。。。縁とは、儚く脆いものですね。。。」

「急に感傷に浸ってどうしたんですか(笑)」と学生。

「すみません。そして的を射ない話ですよね(笑)
今日、みなさんにお伝えしたいのは、先生や先輩とは積極的に仲良くなってください、ということです。

なぜなら、彼ら彼女らは確実にプラスになる情報や体験や人脈を持っていることが多いからです。

例えばみなさんは何かを知ろうとすると、無条件にネットで検索をしますよね?悪いことでは無いですが、これでは灯台下暗しで、ネットを辿るよりも、まずは身近な先生や先輩に声をかけたほうが、知りたいことの本質に速く行き着くことができる可能性は高いです。

そしてそっちの方が、実際にそれを経験できるとか、手に入れられるとか、人と会えるとか、次に繋がる確率も高い。そんなラッキーな場に、みなさんはいます。社会人になると、それをひしひしと感じることになると思います。

そこで、さきほどの話ですが、頑張って声をかけてみたものの、その繋がりを維持できるか、もうひと押しをして、次回により深められるか、ということがとても重要なんです」

「そもそも話すことが苦手な人も多いので、とても難しくないですか?」
と他の学生。

「うん。でもそればっかりは、苦手意識を持ってても何もいい事がないので、じぶんを変えていかなきゃですね。その方法はまたの機会に。

大学生以降は、勉強でも仕事でも恋でも、向こうから機会がやってくることはほとんどなく、自分から動かないと何も手に入らないということだけ、肝に命じておいてください」

「はーい」

「またご飯でも!来週のご都合はいかがでしょう?」と、僕はもっとスっと言えるようになりたいです。何かわからない遠慮のフィルターを捨てられるように努力しなきゃです。しかしなんなんだ。このフィルター。



Text : 熊野森人 (@eredie2)
Illustration : ぎだ (@gida_gida)



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