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くすりの道修町資料館~くすりの町の歴史、信仰、いま~


道修町。どうしゅうまちではなくどしょうまち、と読む。一見ただのビル街だが、多くの製薬会社が軒を連ねる「薬の町」である。
くすりの道修町資料館は、道修町がどのようにして薬の町となったのか、歴史をたどる施設だ。
そして資料館の隣には少彦名神社がある。少彦名は日本神話の薬の神だ。また、中国の薬の神「神農」も祀られているため、少彦名神社は「神農さん」とも呼ばれる。
資料館は、少彦名・神農信仰についても語っている。

豊臣秀吉の時代、道修町は薬問屋が集まり始めた。
昔は中国の方が先進国だったので、国産より中国産の薬の方がクオリティが高くてよく効くみたいなイメージがあったようだ。今のような科学の体系がなかったので、実際効いたのかはよくわからないが……。
道修町の薬問屋たちは中国産の薬を買い、いろいろな地方へ流通させていた。
日本が開国し、西洋諸国から技術が流れ込み始めると、道修町は中国産の薬から西洋の薬を輸入するようになる。
しかし、大一次世界大戦中に外国産の薬の流通が減り、国産の薬を作る必要に迫られた。そのとき、道修町の薬問屋たちは製薬会社へ鞍替えしていった。
さらっと書かれていたが戦争は社会のいろいろな部分を変えるんだなあ。


道修町は老舗の製薬会社が多いので、「昔からある看板の薬」のパッケージも展示されていた。
征露丸や仁丹はわかるが、頭痛薬のノーシンも古くからあることに驚いた。


少彦名が薬の神であることから、すでに祀られていた神農と一緒に祀られるようになった。
道修町の製薬会社たちは、今でも少彦名神社をこの町のシンボルとしている。
薬を扱うのに資格が必要になった現代では、薬剤師を目指す人が合格祈願をしていく。神社には薬剤師の卵が奉納した大量の絵馬があった。
絵馬に描かれている張り子の虎は、かつてコレラが流行したとき虎の字を当てたことかららしい。
最先端の科学を扱う製薬会社の町で、今も信仰が続いているのは興味深い。

ちなみにこれは、野暮用で有休を取ったときについでに訪れた資料館だ。それというのも道修町資料館は平日しか開いていないのである。カレンダー通りに休む仕事のため、有休を取らなければ行けない。
平日にもかかわらず、人はそこそこいた。無料なのが功を奏しているのかもしれない。
隣の少彦名神社も、参拝客が絶えない。定年退職したお年寄りだけではなく、働き盛りの男女の姿も見た。
ビジネス街にある神社だからこそかもしれない。

この手の資料館は、いいことしか書かないので、実際のところネガティブな面もあるのかもしれない。
しかし、道修町について調べたとき、どういう検索ワードで調べればいいかわからなかったので、知識のとっかかりにはなった。
本やインターネットは、調べるためのキーワードを知らないとどうにもならない。

周辺にも企業資料館があるらしかったが、要予約だったり改修中だったりでほとんど入れなかった。企業の資料館は、タイミングが合わなければ訪れづらい。土日開けたり客もいないのに毎日開けたりするのが大変だからだろうけど……。
機会があれば行ってみたい。

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