物に囲まれた生活
以前にも投稿しましたが、この度大型断捨離を行いまして、身の回りの使っていないもののほとんどを手離しました。
その際に、今までいかに不要なものに囲まれた生活をしていたかに気が付き、またそれでもなお満たされていないと思っていた自分の心と向き合う機会となりました。
断捨離をすると良い。
というのは、
おそらくほとんどの人が共通認識であるとは思いますが、それが実行できる人はかなり少ないと感じました。
私もそうでしたが、
普段ゴミの日に、捨てているから、片付けはできていると思っているのです。
そして、根本的には片付けの指針がないというところが非常に難しく、断捨離と一言で言っても、どこまでを処分するかの線引きが人それぞれであるということです。
もちろん、普段からなかなか捨てることが出来ない人が、机の周りを整理しただけでも大きな変化だと思いますし、すでにミニマリスト生活をしている人からしたら、当たり前に必要な家具でさえ不要なものになります。
残念ながら、そういうことは学校では教えてくれませんし、生活スタイルや必要な持ちモノもそれぞれ違うと思います。
今回私は断捨離を通して、そこから自分の根幹を揺るがすところまで行きつきました。
もしかしたら、断捨離をして人生を変えるというのはそういうことなのかなと思ったのです。
始めは表層的な、いわゆる不要なものを手離すだけでした。
しかし、それでもなおまだ使っていないものを残そうとする心理は働き続け、人間の執着心の強さに気が付きました。
ただ、そこからは加速度を高めて、捨てる行為がヒートアップしていき、
私に必要な物とは一体何なのか、という自分と向き合う時間になったのです。
それは執着心が強い心を見せつけられることでもありましたし、
今まで購入してきたものを自分で処分するという、自分でしたことの責任を取る時間でもありました。
そのため、誰かにあげたり、売ったりはせずに、すべて捨てる形をとったのです。
最後にどうしても残しておきたかったのが、本でした。
それらは私に多くのことを教えてくれて、大切な言葉が詰まった宝物のように思っていたのです。
ただ、その宝物でさえも、いつしかさほど読まなくなり、それを持っていることで安心している私がいました。
その時、ふと仏陀最後の言葉、自灯明・法灯明が頭に浮かんだのです。
仏陀がなくなる前に、弟子たちは仏陀がいなくなったあとどうしたらいいのかと嘆きます。
その時に弟子たちに向かって言ったのが、この自灯明・法灯明です。
すべての苦悩は執着から生まれることをわかっていた仏陀は、自らがいなくなった後には、仏陀の教えすらも捨てて、自分を信じて生きていくように弟子たちに伝えたのです。
本に頼らなくても答えはすでに私の中にある。
そう思い、大切にしてきた本も手放すことに決めました。
今回、たくさんの物にあふれた生活の中で、私はものがあることで安心し、また不安や恐れから捨てられずに持ち続けているものもたくさんありました。
結局、物のすべては心を映した鏡に過ぎなかったのです。
多くの物に囲まれていましたが、そこに幸せが本当にあったのか今となっては知る由もありません。
しかし、手放した後には心が軽くなり、今を大切にできるようになったと感じています。
いかがでしたか。
身の回りの物を見渡して、心の整理もしてみるのも良いかもしれませんね。
今日もお読みいただきありがとうございます!
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