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原因と結果
物事にはすべて原因とその結果がある。
私はずっとそのように考えていました。
時間の流れを考えると、通常は過去から現在、そして未来に向けて流れているように思っていました。
ただ、時折ふと、もしかしたら時間の流れはその逆で、未来から過去に向かっているのではないかと思うことがあったのですが、その理由を上手く説明できなかったので、あまり深く考えることもありませんでした。
最近になって、また時間の流れについて思いついたことがあります。
過去の出来事がきっかけや要因になって、現在、そして未来を変えていくものだと思い込んでいた時は、現在の状態が芳しくない場合、とにかく過去を悔やんだり、取り返すことのできない時間を何とか巻き戻せないかとよく考えていました。
ただ、それは過去と現在、そして未来が、一つの同じ線上で流れる中で、相関関係がある場合においてのみです。
もしも、それぞれに関連がなく、独立した存在だったらどうでしょう。
今までは、過去→現在→未来だったのが、
本当は、過去≠現在≠未来という形になっているとしたら?
通常、私たちはこう考えます。
食べ過ぎた(過去)→お腹が満腹(現在)→太った(未来)
食べ過ぎて、お腹が満腹になったことが原因で、体重が増えたということが結果だとします。
ですから、その逆で、ある一つの未来を創りたい時には、たいていその逆を意識的に考えるでしょう。
食べない(過去)→お腹を減らす(現在)→痩せる(未来)
これは、食べるという行為と、身体が太ったり痩せたりすることに関連があると考えていて、それぞれを結び付けているからです。
ただ、前述の通り、そこに相関関係が無かったらどうでしょうか。
それぞれが独立しており、食べること、お腹が満腹になったり減ったりすること、身体が太ったり痩せたりすることは、実は関連がなかったら?
関連がないということは、
過去≠現在≠未来
それぞれが、その時になりたかった姿、その時行動したかったことをしているだけですから、
過去ではお腹いっぱい食べたかっただけで、現在はお腹が満腹になりたかったからなっただけで、未来の時には身体を大きくしたかっただけかもしれません。
私達は多くの場合、思い込みからいろいろなものと関連付けて、生活をしています。
食べるという行為が、太るのではないかという想念と結びついた時、その現実を創り出しているように思います。
そして、今太っているのであれば、そこに何か過去の理由や原因があるのではないかと探し、本来原因でも何でもないにもかかわらず、原因になりそうなものと結び付けて、きっとあの時食べ過ぎたから太ったに違いないと思い込もうとしているのかもしれません。
今を認めることが出来ない時、私たちは過去にさかのぼって、原因を見つけ、それが理由に違いないと思いたくなる。
なぜなら、まさかそれぞれが関連していないとは思っていないし、自分の意志だけで、現状を動かすことも、世界を変えることもできないと思っているからです。
この世界は一つだと考えていれば、私は取るに足らない小さな存在で、何もできないと思うでしょう。
しかし、一人一人に世界があるとしたらどうでしょう。
あなたにはあなたの、私には私の世界があって、それぞれの世界で生きています。
だとしたら私の世界で、現在の状況を私の許可なく創り出すことは不可能ではないでしょうか。
すべてはそれぞれが創り出した世界の中にいるのだとしたら、私は過去も現在も未来も、それぞれの瞬間に許可を出しているはずなのです。
顕在意識では、認めたくないことも多くあります。
まさかこのような状況を?私が望んだなんて、と。
ただ、それはあくまで表層的な意識の中でそう思っただけですから、例えば誰かとの比較や、環境、社会通念上などからジャッジしている可能性があります。
ですから、すべての固定観念から解放されたとき、もしかしたらその時々で食べる私も、太る私のことも望んだり、その時そうなることが必要だったから許可を出しているかもしれません。
人生が上手くいかないと考えるときに、今を認めたくなければ、過去にさかのぼって、あれが原因だろうとか、これがあったから今こんなことになってしまったと思うでしょう。
どこか別のところに責任を擦り付け、この状況を自らが選んだとは思いたくないからです。
しかし、それではいつまでたっても同じことを繰り返すだけです。
すべてにおいて、許可を出したのは私であること。
また、許可を出せるものは自分以外の何ものもいないこと。
そして、その現状にジャッジしないこと。
どんな状況も良い悪いはありません。
許可を出したものが今手元にある、ということに気が付けば、こう思いませんか。
『満たされている』
望んだことが手元にあるのですから、満たされているということですよね。
そして、そうしたかった、望んだ、選んだ、許可をした現状に対して、何も間違っておらず、これでいい、予定通りだ、と。
そう思えた時に安心し、大丈夫だと思えるのではないでしょうか。
私達は、その理由がわかりません。
なぜこんなことを望んだのか、許可したのだろうという理由が。
ただ、理由はわからなくていいのかもしれません。
人間の小さな頭ではとても理解が出来ないほどに、深い理由があるかもしれませんし、その理由も知る必要はないのかもしれません。
ですから、現状を見た時に、これは私が選んだものではないとか、私は望んでいないと叫んでも苦しみを強くするだけです。
私が選んで許可したことがただそうなった。
理由はわからないけれど、私がそうなるようにしたのであれば、これでいいのだ、とただ受け入れること。
これが結果に対して、原因の責任を負うということなのかもしれません。
いかがでしょうか。
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