気付くということ
人生において、人との関わり合いのなかで、心の中の感情を知ることが出来ます。
例えば、嫌だなと思う人が目の前に現れた時に、相手を嫌ったり、否定するような気持であったり、その逆で、好きな人が現れた時に、その人のために何かしたいという思いが出たり、
もしかしたら場合によっては、人を裏切ったり、心の中にある冷酷な一面を垣間見ることが出来るかもしれません。
人との出会いの中で、私の中にはこのような気持ちがあるのだなと感情に気が付き、様々な気持ちが芽生えることを知ることもあります。
たいていは、出来事や出会う相手の方に意識が向きがちですが、それ自体には実はあまり意味がないのかもしれません。
大好きな人が目の前に現れた時、おそらくその人のことに考えが夢中になるでしょう。
ですが、本当はその相手に恋をしているのではなく、その出会いによって、心の中に現れた『恋心を知る』ことが重要な意味を持つ。
出会いとはそのために過ぎないのかもしれません。
ですから、いろんな感情の気づきのために、私たちは出会いや経験を繰り返しているのではないかと思います。
先日、ふと私は父をひどく否定していた心に気が付きました。
それまでは、そんなこと心にも思っていませんでしたし、まさかそんな思いが心の中に隠されているとは思ってもいませんでした。
父を否定する奥にあるのは、結局私自身への否定の気持ちからでした。
父を否定しているように見えて、実のことろ私が否定しているのは私自身だったのです。
ただ、それに気が付いた時、私はその思いをそのままにしておきました。
普通なら、自己否定の精神は誰でも嫌でしょう。
何とか肯定できるようにしたり、自己肯定感を上げられるように努力したりする。
また、自己肯定感をあげられなかった過去を悔やんだり、自己肯定感があげられないから現実がうまくいっていないなどと思うこともあるかもしれません。
しかし、私は全くそのようには思いませんでした。
それどころか、その私が父を否定し、また私のことも否定する感情を観て、その感情をなんだかとても美しいように感じたのです。
否定する気持ちがダメで、肯定する気持ちが良い、というのはあくまで私の固定概念が判断して決めたものにすぎません。
様々な感情に良い悪いがないのだとしたら、そのすべては表裏一体で素晴らしく美しいものであると私は思ったのです。
まるでサイコロのように、いろんな面をその時々に応じて見せるだけで、サイコロ自体は一つなんです。
ですから、心の中に現れるすべての感情を美しく、愛おしいと思ったのです。
こう考えることはありませんか。
愛や優しさなどのポジティブな感情は良いけれど、不安や心配、怒りなどネガティブな感情は良くない、良いものだけで生きていけたらどんなに幸せか。
ただ、これは本当の意味で幸福なのでしょうか。
もしも、良くないものだったら、なぜその感情はあるのでしょう。
結局、どんな感情も本当は愛しているのではないでしょうか。
ただ、変わらない現実は、きっとこの感情があるからだとか、何かと関連付けてしまうこともあります。
なぜなら、そのせいにする方が楽だからなんです。
まさか感情を愛しているなんて認めることはできないでしょう。
私は怒りを愛している、憎しみを愛している、喜びを愛している、悲しみを愛している、憤怒を、嫉妬を、楽しみを。
良いと思われるものであれば堂々と愛していると言えます。
しかし、まさか怒りを愛しているとか、否定の気持ちを愛しているなんてあまり大きな声では言えません。
なぜなら場合によっては、まるで不幸な現状を喜んでいるようにも見えますから。
ですから、本当は愛していても、それを認めなかったり、受け入れなかったり、そんな気持ちは私にはないって思い込もうとしていただけなんだと思います。
すべての不幸の始まりは、愛しているものを愛してはいないと思い込んでいることなのかもしれません。
今までは、怒りの感情が出てきたときに、私はそれを抑え込もうとしていました。
そのような感情を持っていてはいけないと思っていたからです。
次に、怒りが出た時は、その感情を何とか手放そうとしました。
やはり、その感情を持っていることは、現実に悪影響があると思っていたからです。
さらに、また怒りの感情が出てきた時には、その感情を受け入れようとしました。
抵抗するのをやめて、自分にあるものだと認めたのです。
ただ、認めたものの、私の中に悪い感情がある、として認めていました。
今、私は怒りが起きてもそのままにしています。
そして、それは決して悪いと思われる感情ではなく、喜びや悲しみと同様に、美しい感情の一つだと捉えています。
そして、その怒りの感情を私はとても愛しており、その怒りの感情が私にあるということを気付かせてくれた、怒らせてくれた現実世界の人々に心から感謝しています。
これから出会う人は、私にどんな感情があることを認識させてくれるでしょうか。
きっとまだまだ知らない感情がたくさんあるはずです。
そして、その感情を知ること、認めること、それ自体が喜びであり、愛であると思うのです。
私はすべての感情を宝物のように思っています。
そして、感情が出てくるたびにそれを美しいと思い、愛おしく抱きしめたくなるのです。
皆さんはいかがでしょうか。
今日もお読みいただきありがとうございます!
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