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沈黙は

得意な分野だったり、専門的な業種に就いていると、人より知識が多くなるところが誰にでもあるでしょう。

その状況だと、時には培った知識をつい披露したくなったり、頼まれてもいないのにアドバイスをしてしまったり、こうしたらいいのにと良かれと思って口を出してしまうことがあります。

もちろん、親切心から出る内容ではあるのですが、相手が質問しているならまだしも、聞かれてもいない内容や、知識をひけらかしすぎていないか気を付けないといけないなと私もいつも思います。

『沈黙は金 雄弁は銀』
ということわざをご存知の方も多いでしょう。

沈黙するということは、たくさんのことを語る以上に価値がある、という意味のことわざです。

コミュニケーションをとったり、伝えることは大切かもしれませんが、伝える内容や、伝える方法、伝えるタイミングには気を配った方がいいのかもしれません。

それをいちいち考えるのが面倒だとか、そんなこと考えて話すのが苦痛になるのであれば、とにかく黙る。

そうすることで、話を聞く側になったり、わざわざ余計なことを言って、衝突するようなことを避けることが出来るでしょう。

例えば、何かの先生や講師のようなお仕事であれば、人を導くために無口ではいられません。

それは業務として、学びの内容を伝えることがお仕事だからです。

ただ、そこから一歩離れたところで、関係のないことで指示を出されたり、聞いてもいないのに、成長を促すようなアドバイスをされたら、あまりいい気持にはならないはずです。

ですから、意識を向けるのはあくまで自己成長のみで、他者との比較ではなく、過去の自分との比較なのかなと思います。

私の場合、自己成長に目が向かない時ほど、他者に向けて成長を促すようなことを考えたり、こうすればいいのにとか、ああすればいいのにと意見をしたくなっているなと感じました。

他者に成長を促すときというのは、自らの成長をには目を向けようとせず、その目を周囲の人に向けて、意識を別のところに逸らそうとしているような気がするのです。

目を向けたほうがいい、ということには心のどこかでわかっていても、目を向ける勇気がない場合に、自分より下であろう人を探して安心しているのかもしれません。

そういうどこかずるい自分を見かけた時に、結局後で、
『あんなこと言わなきゃよかった』とか
後悔することが多く、年齢を重ねていくうちに、傲慢さが身についてしまっている事にも気が付きます。

謙虚な気持ちを持って、自己成長に目を向けていくということが、自然にできる人は良いと思うのですが、気を抜くと、すぐ調子に乗ったり、強気になっていく心の持ち主としては、いつも無意識に変なことをしでかさないかひやひやします。

心の中の思い、傲慢さや謙虚さは、結局言葉や態度にあらわれると思うのです。

結局のところ、本当の意味で思慮深かったり、賢い人というのは、
『何を言うか』ではなく
『何を言わないか』を
心得ている人なのでしょう。

もちろんそこには、言っていいことと悪いことの境界線もわきまえているということも含まれますし、心の強さもあります。

それを理解したうえで、言葉を制することが出来る人になりたいと、私は思います。

皆さんはいかがでしょうか。

今日もお読みいただきありがとうございます!


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