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愚痴の行き先

昔から、母の愚痴や不満を黙って聞くことが多くて、それに慣れてしまっていたのか、大人になってからも母の愚痴だけではなく、友人の愚痴や不平不満を聞くことが多くなりました。

私は、思いを吐き出したほうが楽になるのかなと考えていたため、それをただ聞いてあげることが良いことなのだと思っていたのです。

そのため、カフェで何時間も友達の愚痴を一方的に聞いてしまったりしていて、それを良かれと思い込んでいました。

ただ、何時間も聞くとさすがにこちらも与えられるダメージが大きかったのか、特に意識したわけではありませんが、次第に愚痴や不平不満しか言わない友人とは会わなくなりました。

ある日、
『愚痴を言わせたらいけない。言わせないのも愛なんだ』と、おそらく斎藤一人さんの言葉だったと思うのですが、ふと動画に出てきて、今までの私の行動は、間違っていたのだなと思いました。

ご存じかもしれませんが、斎藤一人さんは言霊をとても大切にしておられて、言葉に宿る力についてよく説かれています。

私もとても共感していて、私も気をつけていはいたのですが、周囲の人にまでそれを強制はできないと思っていました。

ですが、もしもそこに愛があれば、
『もうそんなこと言わないで』とか、
『良いことにも目を向けようよ』と言って、
言霊のことも伝えられたと思います。

ずいぶん昔でしたが、精神科医の名越康文さんがテレビの番組でとても印象的な言葉を言っておられて、ずっと忘れられないのですが、

『普段から、愚痴、不平不満を言っている人はなぜかわからないけれどそのような不幸な人生になってしまう。パッと後ろを振り向いたら光がさしているのに、そちらを見ないでずっと影を見てしまっている』

というような内容だったと思います。
実際、その友人と母は、常に何かしらの身体の不調を抱えています。

また友人は家族の問題に心を悩ませており、長い付き合いですが、いつ話を聞いても平穏で幸福そうな姿を見たことがありません。

私はそれもまた、それぞれの成長の課題として、相手を信じて傍観の立場をとっていましたが、

『もうそんなこと言うのやめなよ』って言うことがその相手への愛であり、また愚痴を聞かないようにするというのは私に対する愛なのだと気が付きました。

なぜなら、結局愚痴の行き先はまわりまわっていった本人のところにかえってくるからです。

吐き出した途端、排水溝に吸い込まれて見えなくなるのではなく、言ったところがゴールなのです。

ですから、日々の言葉には気を付けつつ、また周囲の人にも声をかけていきたいなと思っています。

相談は良いと思いますし、愚痴とは違いますから、必要な時まで黙っていないで、しっかり助けを求めたほうがいいと思います。

いかがでしたか。

今日もお読みいただきありがとうございます!

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