学生の不安というレトリック
学生とは、何か。
日本語の使い方として、
児童、生徒、学生とある。
つまり、学生とは大学生のことである。
新成人でも、免許合宿に行く人でも、モラトリアムを謳歌する人でもない。
大学に2回以上行く人もいれば、就職してから大学に行く人もいる。学びはいつまでも終わらないのに、型にはまったことが好きな日本ではリスキリングという言葉も型にはめて流行っている。
そうなると、学生の不安という、もともと集合論的表現であり、思考停止や生産性の低さが懸念されるところを、再定義によりほとんど全年齢に解釈できそうである。
つまり、人間の不安とは、人類の不安とはというような、茫漠としたものを引き合いに出してしまう。
学生アスリートの場合
一方で、学生アスリートの不安となるともう少し分かりやすい。どうしても、学生といっても若年層に集中するし、悩みも大きく2通りでしょう。
競技を続ける不安
新しい道を行く不安
これは、同年代は新卒の学生としての悩みである一方、中途採用を考える人間と似ている。
大学生活もキャリアかもしれないが、日本社会ではそのような見方が少ない一方で、アスリートの青春はキャリアなのだ。
ここにアスリートの優位性がある。どんな競技であっても、1つのことだけを磨き上げて他で使えないということではなく、体調やメンタルの管理、基礎トレーニング、タテヨコの人間関係、抽象的な戦略を具体的なアクションに落とすという、複数の項目で及第点を取らないと、舞台に上がることはできない。中堅の社員を管理職にすべく種々の経験や研修をさせている経営者も多いでしょうが、彼ら彼女らはベースの修練を済ませた状態で御社にジョインすることのなる。経営者としては、願ってもない話だろう。
あなたが不安を消せるなら
さて、そんな学生アスリートが不安を抱えている。
あなたの会社はどうしますか?
ボールが回ってきたのだから、数秒で相手チームの選手が取りに来ます。もう二度とボールは回ってこないかも。
さて、どうします?
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