「短編小説」男は

「いつも悪いな、迷惑かけて」
男は2つ折りにしたお小遣いを1枚渡す。綺麗に折られた小さな喜びはどこか居心地が悪そうな気がする。

今年は梅雨が少なく、作物が育たない。

「シノハラが犯人だったなんて意外だよな」
独り言を盗み聞きしてただけだ。シノハラが役名なのか、本名なのかは知らないが、とりあえず役名のテイで話しかけた。

綿毛が地面に落ちるくらい静かで暑い夏の夜。

「リンゴゼリー貰ってきだぞ、お前好きだっただろ」
男は友人から図々しく2個貰っており、すぐに冷蔵庫に入れる。茶の間に来るのは夜だから、天気予報を観よう。

そういえば、男はリンゴアレルギーだった。

「新作のゲーム買ってきたぞ」
誕生日だから奮発しようと気合を入れた。いざ家に着くと小っ恥ずかしくなって、玄関の靴箱の上に置いておいた。

3日経っても、ゲームの位置は動かなかった。

「今日母さんの20回忌だぞ、お前もお寺行くか」
入学式の写真では、彼女は今も変わらず笑顔だ。お前にはもうあの時の記憶は薄れてるのかもしれないな。

返事が無かったから男は、結局1人でエンジンを掛けた。

「一人暮らしをしないか、お金はなんとかする」
あてなんか何もない。ただ、会話の相手は自分の生き写しだ。責任を取る、何とかしてあげたいんだ。

会話の相手の生き写しは、長く伸びた髪しか見せてくれない。

「そろそろ、話さないか」
何十年ぶりかに会話を強要した。

男とよく似た目を使い、男と目線を合わせる。男は、あまりにも可愛げのない姿に驚く。

握力は少しばかり男の方が強いだろう。想像とは随分と乖離のある生き写しに、男は少し憎ましい思いをしたのだろう。

「もういいだろう、お互いに」
そうだったのか。意外なことに、力いっぱい振り下ろした先には、年老いた一人の男にしか味わえない不安に苛まれた感覚を得た。得たんだ。得て欲しい。得て欲しかった。

写真立ての中身は売りに出され、満員電車に乗る平凡な大人たちのおかずとなる。

「誰にも頼ることが出来なかった。申し訳ない気持ちです。」
男は自由を得たんだ、これくらい言ってあげよう。これがゾクに言うリップサービスってやつか。

今は冬、冷蔵庫の中の1個のリンゴゼリーは、辛うじてまだ食べれる。


「お父さん、ホントにごめんね。いつも迷惑かけて。」
振り絞った久しぶりの会話は、恍惚の光に包まれた男には聞こえなかった。

とある村の話。


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