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【816回】灰谷健次郎「砂場の少年」
灰谷健次郎「砂場の少年」を読んだ。
読むのは3回目かな。それにしても、ストーリーを覚えていないものだ。
中学生で、スマホ、SNSの世界を活用する時代で、1990年という平成初期の物語に触れる行為にどのような意味があるのか。
迷いながらも読み終えた今、共通項があったな。
昔も今も、一つの課題だ。
大人は、生徒を、同じ人間として見ているのだろうか。
大人は、生徒と同じ視線に立てるだろうか。
大人は、生徒の声に耳を傾けることができるだろうか。
教師も生徒も、家族さえも。
疲れきっている社会の中で。
教師も生徒も、同じ人だ。
お互いに迷惑をかけあって生きている。それでいいではないか。
教師の話を生徒が聞く。
生徒の話を教師が聞く。
疲れきっている人は、寂しい人になる。
寂しい人ばかりの社会だ。
僕は、次のセリフを書き残しておこうと思う。
体育教師である森と、学級の生徒たちが、意見を言い合う場面だ。
森に意見を言うのは、木内リカという女子生徒である。
「自分のしたいことをするのは、わがままですか」
「まわりにめいわくをかけたらわがままだ」
「なんだかさびしい気がします」
「さびしいって、どういうことだ?」
「まわりにめいわくをかけていけないと、したいこともしないで生きるなんて、なんだかさびしい」
生徒に、この社会で生きていくむなしさばかりを、味わってほしくはない。