【795回】沼田和也「牧師、閉鎖病棟に入る」
牧師が、精神科の閉鎖病棟に入院する?
牧師、精神科、閉鎖病棟というあまりつながらないように見えるキーワードで構成された本。
著者と自分の共通点が身に沁みる。
すなわち、
という姿勢。もう20年以上前になる学生時代の自分。今は逆に、「他者」ではなく「ありのままの理想の自分に到達できない自分」を断罪し続けているのだ。
責める方向が他者か自分か。責めながら生き続けてしまっている。
仕事がうまくいっているときは、責める量が少なくなった、もしくは、うまく回避できた。責める癖はずっと残っている。
著者を治療する、主治医の言葉が苦しい。
まわりに人に労ってもらうのではない。
なんで、自分だけが変わらないといけないんだ。この不満、まわりへの嫉妬感がつきまとう。
変わりたくないなら、変わらなければいい。苦しいだけ。
変わりたいなら、変わる努力をしよう。苦しいけど。
変わろうとしているのは自分だけではない。相手も日々、変わろうとしている。
忘れていた言葉。
相手には相手の事情があるのだ。
決めたではないか。相手を変えようとするのではない。自分を変えようとするほうが圧倒的に楽なのだ。
そうやって過ごしてきたではないか。
相手はきっとこうやって自分を責めている。
自分のせいでみんなに迷惑をかけている。
自分はこうしなければならない。
相手のせいだ、僕は悪くない。
こういう思考が生まれたとき、即座に気づき、「本当にそうか?」と反応できるようになったではないか。
苦しんで、再度、牧師として生き始めた著者を見て、
僕も、再度、教師として生き始めてみる。