【800回】勝田茅生「ヴィクトール・フランクル それでも人生には意味がある」
第2次世界対戦での、ドイツが行った歴史上最悪行為の虐殺が行われた「絶滅収容所」の体験を記した「夜と霧」の作者、精神科医・心理学者の「ヴィクトール・フランクル」
何度か、本を開いてみたが、どうしてもすっきり理解できない言葉がある。理解できないというより、忘れてしまう言葉。
「人生が私たちから何を期待しているのか」
自分の人生に何の意味があるのか。
自分の中へ中へ降りていって考えてしまう。答えはもちろん、出ない。
自分は相談業務や、通級指導教室のように児童生徒の個に応じた支援をし、一緒に悩む仕事が向いている!
という思いがあっても、その仕事はまわってこない。どうしてなのか!
…などと思えば、永遠に自分は、自分の中でぐるぐる回っているだけになる。
本書を読み終え、わかった。
人生が何を期待しているのか。
それは、「今、自分が存在している場所でどういう行動が他の人たちや自分にとって最善の行為なのか。最も価値がある行為は何か」考えて行動すること。
そして、自分の人生の意味は、「死ぬときにわかる」ということ。
厳しい!
人生の意味は悩んでも仕方ない。
けれども、「今、この場所で最も価値がある行為は何?」は問い続けていける。また実践し続けていける。
結局、物事の捉え方なのだろうなあ。
今与えられた居場所、仕事について、ふてくされるか、継続するか。生きる態度を選ぶことができる。
価値がある態度はどちらなのだろう。
そして、こうやって仕事に悩む時間がとれるというのは、余裕があるからなのだろう。
悩んでいられる自由があるからなのだろう。
なりたい自分がいる。
それは、今、価値がある行為を取り続ければ手に届くかもしれない。
しかし、届かないかもしれない。
ただ、価値がある行為の結果次第では、職場の信頼は得られるかもしれない。
結果はわからない。
最善を尽くそう、な。