見出し画像

【718回】転校してきて、やり直そうとしているんだったら、やり直させてやりたくないか(伊坂幸太郎「逆ソクラテス」その2)

伊坂幸太郎「逆ソクラテス」、2023年夏文庫化。所収作品は5つ。
「逆ソクラテス」「スロウではない」「非オプティマス」「アンスポーツマンライク」「逆ワシントン」
5つの作品ごとに気に入った言葉を紹介する。つまり、その5で終わる予定だった。ところが、言葉に対する思いが強く文章が長い。これはその5ではまとまらん。とりあえず、続けます。

その2は、「スロウではない」から。

◯「スロウではない」で気に入った言葉①

「先生はその後、『転校してきて、やり直そうとしているんだったら、やり直させてやりたくないか』と言いましたよ」

伊坂幸太郎「逆ソクラテス」スロウではない(p92)

僕自身、幾度か転校を経験している。そのたびに、「どうしてこの学校に来たの?」と聞かれる。親の仕事の都合だ。転校に僕の意思はまったく関係ない。
ただ、僕は、集団が苦手な子どもだった。学級で生活しにくくなったとき。ずっと自分をごまかさないといけないと思うとき。生きにくいとき。
「転勤が決まった」
この発言は、僕にとっては僥倖であったろう。

新しい土地へ行ける。新しい場所でやり直しができる。
僕は、結果的にやり直しができた。しかし、同じ転校でも、理由は当然様々存在するだろう。

前の学校に行けなくなった。前の学校でいじめられていた。前の学校で事件を起こしてしまった。前の学校が廃校になった。
転校したくて、やり直しをしたくて来たんだ!
転校するしかなかった。逃げてきたんだ。
人それぞれの事情がある。新しい環境に入っていく。強い緊張感が伴う。
転校とは、本人の思いとは関係なく、挑戦になってしまう雰囲気がある。新しい環境が、自分の居場所にできるかどうかという、挑戦である。

つらい…。

転校とは、異質だから。公立校のように、地域ごとに、偶然同い年だからといって人が集められ集団化された場所。しかも人の成長のために、生き方を学ぶ場所。子どもたちだらけの場所。そこに、ポッと他の地域から入っていく。「この人は前の学校で何があったのだろう」今まで生きてきた僕たちの学級の安全は脅かされはしないか…という視線がある。

「やり直そうとしているんだったら、やり直させてやりたくないか」
この言葉は、人にはそれぞれ事情があると教えてくれる。
新しく教室に入ってきた人に、「この人どんな人?」という視線を送ってしまうのは当然。でも、相手の事情の探索に、情報収集に力を使うべきだろうか。

人には踏み込んでほしくない領域があるではないか。

「やり直そうとしているんだったら、やり直させてやりたくないか」
転校に関わず。
新しい環境に身を置こうとする人たち。
テストで失敗してやり直そうとする、壊してしまった教室の椅子を直そうとする、飲みすぎたお酒の量を減らそうとする、食べすぎた牛丼を特盛から普通に減らそうとする…。

「やり直そうとしているんだったら、やり直させてやりたくないか」
何かをやろうとするときに、自分にも言い聞かせる。いい言葉だなと思う。