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MMM2009-2018:だれが?(MMM2018)

MMM2018は正直、できるかどうか、というところから始まった。

MMM2017が終わり去ったスタッフが多く、また浅野くんや石田くんなど動ける4年生スタッフも卒業してしまったため、MMMの継続は例年になく厳しかった。それでも、10周年をやりたいという気持ちを持つスタッフや関係者が多く、前々から構想していたこともあり、ギリギリのところで開催が決定した。MMM2017の代表のだーまん(高田彩加)は、代表を退き、彼女が最も興味を持っていた展示作品と取りまとめ役に、キュレーション班のリーダーとして専念することになった(結局いろいろやっていたが…)。だーまんを継いで、MMM2018のリーダーとなったのが、もゆ(山田萌結)ちゃんであった。2009年よりずっとSFC生が代表だったが、初の明治学院大学のリーダーがた。

この年は特殊な年だ。例年とは異なり、チーフキュレーターの橋口さんとプロデューサーの中村さんがしっかりコンセプトを敷き、この年は過去の大賞作家を中心とした展示となった。ぼくはつながりを生かして、関係の続く過去作家と現役のスタッフを繋いだ。アーティストとして覚悟を持って活動する方々とのコラボレーションは橋口さんや中村さんもやりがいがありそうだった。また、今回のアーティストたちは「関係者との付き合い方」も熟知しているので、関わる学生も楽しそうに、かつ成長しながら関わっていた。だーまんは野村在さん(MMM2014大賞作家)、宝塚大学スタッフの(田中)レイは井口雄介さん(MMM2011大賞作家)の制作のサポートに没頭し、人生を変えるぐらいの体験をしていたように見えた。ぼく自身、変わらず活躍する懐かしいみなさんとお会いできることはとても楽しいことであった。

それだけでない。去年の反省を踏まえ、もゆ代表と前代表のだーまんと月に一回話し合いの会を開いた。女子大生と美味しいご飯食べてるだけ…じゃなくて、引き継ぎを兼ねて、タスクや悩みを抱えないよう、いろいろなことを共有できる時間を取るようにした。それが良かったかどうかは分からないけど、そこで議論された話のいくつかは業務につながり、成果を上げたものもある(例えば、新スタッフが入ってすぐ動き、モチベーションを高めるため、大学ごとの新スタッフ企画をやってみたり)。

また、地域の方や商工会議所、市役所、芸術家などさまざまな人たちが集って決めずに話し合う集まりCEL(Cultural Entrepurenuer Lab)がどんどん楽しくなっていったのも大きい。月一回集まり、いろいろなことを話して、いろいろな人を繋ぎ、新しい関係性を生み出すことができた。ある意味、ぼくが実現したい社会の姿がおぼろげに見えた時間なのかもしれない。

しかしそれでも、MMMの問題のある体質は変わらなかった。

どうしてもタスクは代表に集中してしまう。「やるべき仕事」「すべき連絡」すら放置されてしまう状況はやはり解決できていなかった。チラシやポスター、パンフレットの完成、協賛金の回収、返礼など様々な作業が遅れに遅れた。正直、会期前のSlackは殺伐とした雰囲気があった。しかし、誰かが悪いという訳ではなく、ひとえにMMM体質が問題だった。

それでも、会期が始まれば楽しむことができたのは救いだった。もゆ代表が、とにかくスタッフが楽しめることに腐心して、さまざまな企画を考えてくれた。一年目のスタッフたちは独自の企画を考えるため議論して、絆が深まって言った。決して手放しで喜べる状況ではないにせよ、大事故はなくMMM2018は終えることができた。…少なくともMMMとしては。

今回の一枚は、MMM2018最終日の打ち上げを切り取ったもの。実はこの時、アーティストの一人から非常に厳しい意見をいただいた。その中には、正直どうなの…と思う意見もあったが、一方で本質を見抜いた意見も多かった。そのたびに「俺もそうおもう!」と思いつつ、頭を下げるしかできない状況がもどかしかった。

最悪の状況は脱した。残ってるスタッフはモチベーションが高い。楽しみで仕方がない。

期待は強まる。楽しい時間、魅力的な時間は確実に増えている。

一方で、体質に問題がある。泣く人がいる、憤る人がいる。

だれかが悪い、という訳ではない。

それでも、続けるなら、だれかが覚悟を持ってやらなければならない。

だれが?

それをアーティストから突きつけられて、ぼくのMMM2018は幕を閉じた。

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